
『陸川章』の検索結果
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大学日本一となった東海大、頼れる大黒柱の平岩玄「全国大会のMVPはまだ早い」MVP受賞は「いろいろな人の支えがあっての賞」 今年のインカレ男子は、東海大学が5年ぶり5回目の優勝を飾った。2018年の東海大は、春のトーナメント、新人戦こそ頂点を逃したが、秋の関東大学リーグ戦にインカレを制覇。そして、この2つでともにMVPに輝いたのが平岩玄だ。 インカレでの平岩は、傑出した数字を残したわけではない。それでもゴール下で攻守に安定したプレーを披露。まさに大黒柱としてチームを支えており、納得の選出となった。 それでも、本人は「正直、全国大会のMVPはまだ早いかなという感じはします」と謙虚な姿勢。そして「自分より上手い選手はいます。同じチームでも美勇士(鶴田)さんも本当に強い選手です。そういう人たちが練習で相手をしてくれ、コーチの方たちがアドバイスをくれました。ポジション柄、自分はガードの選手がパスをくれてこその活躍です。本当に自分だけで取った賞ではない。いろいろな人の支えがあっての賞だと思います」と、周囲のサポートのおかげで取れたMVPであることを強調する。 タレント集団の東海大の中にあって、平岩は自身の役割を次のように考えている。「どこからでも点が取れるので、自分はオフェンスにおいて速攻で走ったり、ハーフコートになったら良いスクリーンをかけたり、スペーシングを取ったりする。そういうセットの流れを良くして良いシュートを打たせることを重視していました。自分が点を取れなくても、そういう仕事をやり続ければ他の選手が点を取れるのでそれをやり続けたことは誇りに思っています」 「自分の仕事をコツコツやっていけば評価される」 チームの優勝については「いつも通り自分たちの力を出せた結果として、こうなったと思います」と言い、大会前にしっかりとした準備ができたことが何よりも大きかったと振り返る。 「リーグ終わってからインカレに向けて戦術、気持ちの部分などの準備をしてきました。控えのメンバー、観客席で応援してくれた人たちは自分たちが彼らのことを嫌いになるまで、バチバチやってくれました(笑)。しっかり準備はできていたので、あとは自分たちがその成果をちゃんと出せるか、出せないかだけ。それで優勝に対しての不安を排除できて大会に臨めました」 専修大との決勝においても、「試合の前にコーチが『平然としろ』とみんなに言葉をかけ、気負うことなくできました。接戦になっても自分たちのバスケットボールができました」といつも通りの東海大のプレーを最後まで貫けたことを勝因にあげた。 これで名実ともに大学最強ビッグマンとなった平岩だが、チームメートのために身体を張って泥臭い仕事をすることこそが自分の持ち味であると『黒子の精神』にブレはない。「自分の仕事をコツコツやっていけば評価されると思っています。周りを気持ち良くプレーさせる。そういうところが自分の価値であり、自分の仕事だと掘り下げてやっているだけです」 「小さいことを積み重ねて、大きなことを達成したい」 「自分にとって体育館に行ってバスケの練習をするのは、ご飯を食べるのと同じこと。これからも小さいことを積み重ねていき、大きなことを達成できるようになりたい」と勝つことによる『慢心』も全く心配ない様子だ。 東海大の陸川章監督は平岩について、プレー面だけでなくリーダーシップも高く評価する。「彼の良いところは、日本代表の合宿や去年で言うと特別指定で琉球にいった経験を還元してくれるところです。『コーチ、こうしたらどうですか?』と、彼が得たものをどんどんチームに還元してくれて、本当に大黒柱になりました。この後も自分の経験を下級生に教えてあげたりして、後輩たちを支えてあげられるリーダーになってもらいたいです」 いよいよ来年は、平岩にとって大学ラストシーズンとなる。これからも代表、特別指定などトップレベルの経験を自身、そしてチーム全体への成長に繋げていくことで東海大の連覇の可能性はより高くなるに違いない。2018/12/19プレーヤー
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インカレ制覇を成し遂げた東海大の大倉颯太「これから4連覇する良いスタートに」「頼もしい4年生や上級生がいてくれたからこそ」 昨年のウインターカップで注目を集めたスター高校生は、大学でもその能力を存分に発揮した。名門の東海大に進学した大倉颯太は、八村阿蓮とともに1年から先発に定着。リーグ優勝とインカレ制覇の2冠を成し遂げた。地元の石川県を飛び出して新しい環境で、また役割もスコアラーからポイントガードへと変わる中で結果を出した。 「高校の時からポイントガードをやっていました、2番や3番をやるには身長も足りないし、1番がこれから生きていかなきゃいけない道だと思っているので。まだまだですけど、こうやって優勝できたので、チームの勝利には貢献できたと思います」と大倉は言う。 東海大の売りである激しいディフェンス、ピック&ロールからのクリエイト、そして得点。求められる役割は多いが、そのすべてに大倉は徹底して取り組んだ。ただ、彼は周囲からのサポートのおかげだと常に口にする。1年生ながら司令塔の役割を任せられるプレッシャーを「ないと言えば嘘になります」と言いつつも、「頼もしい4年生や上級生がいてくれて、僕としてもバックアップがいてくれるからこそ、重荷だとは感じなかったし、自分の思い切ったプレーをやるだけだなと感じていました。上級生やバックアップの力があってこそです」 上級生もまた、1年生にして先発を務める大倉と八村へ信頼を寄せている。3年の平岩玄が「1年生ですけどルーキーと思っていなくて対等でやっています。頼りになる仲間です」と語れば、同じく3年の笹倉怜寿も次のような言葉で信頼を示す。「バスケットをしていない時はかわいらしい後輩ですけど、バスケになると180度変わって頼もしいチームメートです。彼らがエースだと思ってボールを集めるので、思い切ってプレーしてほしい。僕らはそのサポートができればと思っています」 「先を見すぎず、今ある環境で自分のベストを」 「自分としては大会を通じてあまりコンディションが良くなかった」という大倉だが、専修大との決勝では17得点を記録。クリエイトする彼が思い切ったシュートを放ち、それを決めたことで、序盤から東海大のペースを作り出した。「決勝はシュートを狙っていこうと思っていて、入ったので良かったです。こういう一番大事な大会で良いパフォーマンスを発揮したかったなと悔しい部分もあるんですけど、こうやって優勝できて良かったです」 大倉はこう続ける。「日本一にならなきゃいけないメンバーがいて、練習の量だったり質だったり、日本一を取ることだけを考えてやってきました。うれしいのはもちろんですけど、ホッとしています。これから4連覇する良いスタートになったんじゃないかと思います」 1年生にして先発に定着し、チームもこれだけ盤石の勝ち方をしてしまうと、次の目標を置きづらいのではないか。そんな心配もしてしまうが、大倉にそんな気持ちは全くない。「陸さん(陸川章監督)がやりたいバスケをどれだけ表現できるか、そこを極めていきたい。40分間を通して、これは良かったけどこれは悪かったとか、悪い方が多かったり同じぐらいだったりするのが現状です。やりたいバスケットを極めて、そうしたらもっと良くなるのは分かっているので。そういう部分でもっと伸ばしていきたいと思います」 周囲は『大学バスケのその先』を考えてしまうが、彼自身は東海大で勝ち続けることだけを考えている。「最初に陸さんと約束して、4年間やるってことで入って来たので。ダントツで勝ちたい思いがありますし、良い仲間も揃っているので、一緒に優勝したいと思います。もちろんBリーグを経験することに越したことはないんですけど、陸さんの下で学べることはたくさんあるので、先を見すぎず、今ある環境で自分のベストを尽くせればと思います」 目標はインカレ4連覇。そう考えると先はまだまだ長い。大倉颯太の挑戦は、続く。2018/12/18プレーヤー
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1年生から4年生まで全員バスケットで専修大を退けた東海大、5年ぶりインカレ制覇全員バスケとディフェンスで大学日本一に 第70回のインカレは今日が最終日。男子決勝は東海大が持ち味を発揮して専修大を下した。 試合開始から大倉颯太のピック&ロールから多彩な展開でどの選手もフィニッシュに絡む東海大が先行。大倉は的確なプレーでオフェンスを組み立てながら、チャンスがあれば積極的にシュートも放ち、オフェンスの流れを作り出した。対する専修大は197cmのアブ・フィリップのポストプレーが決まるが、外を崩すことができずインサイド一辺倒に。リバウンドで上回った東海大が第1クォーターで22-12と先行した。 第2クォーター、東海大はセカンドユニットの時間。平岩玄と八村阿蓮がベンチに下がったことでインサイドが弱くなるかと思いきや、4年生センターの鶴田美勇士がしっかりとゴール下を支え、寺嶋良がトランジションオフェンスを作り出す。津屋一球はタイトな守備でオフェンスファウルを誘い、佐土原遼が豪快なドライブレイアップで得点と、出場全員が持ち味を発揮した。 逆に専修大は攻守に奮闘していた西野がベンチに下がるとペースダウン。しばらく停滞した後にフィリップ以外の選手にも積極性が出てオフェンスが活性化し、なかなか決まらなかった3ポイントシュートを大澤希晴が決めるが、東海大はこの時に呼吸を整えたスタメンがコートに戻っていた。すぐさま西田優大が速攻を返し、八村がオフェンスリバウンドを押さえてゴール下をねじ込み、42-28と東海大がリードして前半を終えた。 打ち合いでは不利、ディフェンスから流れをつかむ それでも後半、ターンオーバーからの速攻を盛實海翔が決めたのをきっかけに専修大に勢いが出る。西野もポストプレーから八村との1on1を決めて連続得点。速い展開から西野がフィニッシュする形で専修大がついに流れを呼び込んだ。 それでもフィリップのアタックを身体を張って八村が止め、ルーズボールにダイブして速攻を出させないハッスルで、東海大は流れを引き戻す。ディフェンスへの意識とボールへの執着心を強めた東海大が第3クォーター残り1分10秒で60-47と再びリードを広げ、最後2つのポゼッションは大倉の出番。ディフェンスの間隙を突くドライブレイアップ、ブザービーターの3ポイントシュートで専修大を突き放した。 第4クォーター、東海大は秋山皓太、鶴田、寺島、佐土原とベンチメンバーを入れて攻守の強度を保つ。残り7分半、盛實が強引に放った3ポイントシュートを決める。日本大との準決勝では盛實がここから波に乗り、連続3ポイントシュートで一気に劣勢を覆したが、東海大ディフェンスはその再現を許さない。逆に速攻からゴール下にアタックした佐土原を止めた西野がアンスポーツマンライクファウルを取られ、専修大の勢いは削がれてしまった。 終盤、専修大は猛攻を仕掛けるも、意識が攻めに傾きすぎれば隙も出る。東海大は落ち着いてそこを突き、キャプテンの内田旦人がオープンで放ったコーナースリーをきっちり決めてリードを保つ。また前から激しいプレッシャーを掛けられても、ボールハンドラーの大倉がイージーなミスをすることなくコントロールし続けたのも大きかった。 残り50秒、大倉がプレッシャーをかわして繋いだボールは左ウイングで待つ内田へ。24秒のブザーとともにこれを決めて86-67とし、勝負アリ。最後は両チームともに上級生ラインナップをコートに送り、試合終了のブザーを聞いた。88-70、東海大が5年ぶりの優勝を成し遂げた。 殊勲の1年生ポイントガード大倉「目指すは4連覇」 陸川章監督は試合をこう振り返る。「今日の決勝戦、専修さんは平均80得点以上を取っているチーム。それを下げようと、我々のディフェンスで勝負しようと臨みました。特に前半は素晴らしい展開でリードできてうちのペースで試合ができました。トランディションやスリーポイントで得点を取られても慌てずに試合ができました。みんなの勝利だと思います」 強調したのはセカンドユニットを含めたチーム全体の勝利であること。「今まで違うのは、先発はエースの5人ですが、他のメンバーが今日も含めて本当にチームを救ったり、流れを変えたりしてくれました」と陸川監督は言う。「先発陣はアンダー世代の代表で7月、8月とチームにいなかったです。その間、相当にトレーニングを積んで、2チームで戦える布陣ができました。主力にケガがあっても戦力が落ちずにできる層の厚さ、総合力がありました。それが今までの東海とは違う強さかと感じます」 1年生ながらポイントカードとしてチームを引っ張り、決勝でも17得点10リバウンド4アシストと活躍した大倉颯太は「目指すはインカレ4連覇。陸川さんのもとでいろいろと教わっていきたい」と充実のシーズンを締めくくった。2018/12/16プレーヤー
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八村阿蓮を筆頭にチーム一丸の大攻勢、東海大が筑波大を撃破しインカレ決勝に進出第4クォーター、勝負どころでチーム一丸の大攻勢 インカレ男子準決勝の第2戦は東海大と筑波大の名門対決。第4クォーターの勝負どころで東海大が持ち味のディフェンスとリバウンドで違いを見せ、筑波大を振り切って決勝進出を決めた。 立ち上がりは確率良くシュートを決めた筑波大が20-13と先行するが、先制パンチを浴びても東海大に焦りはなかった。陸川章監督は「第2クォーターを8点に抑えたように、やるべきディフェンスはできていたので、相手のシュートは入っていたけど、このまま続けていけば大丈夫だと感じていました」と振り返る。相手の勢いに後手に回る立ち上がりとなったが、指揮官が全く動じない以上、選手たちも落ち着いて自分たちのプレーを続けることができた。 東海大は自慢の堅守で第2クォーターを11-8とロースコアに持ち込んで差を詰めると、第3クォーターに26-18と盛り返す。そして、ディフェンスと並んで東海大の武器である層の厚さも発揮された。体力的にキツくなってくる第3クォーター後半、ベンチメンバーが先発と遜色ないパフォーマンスで繋ぎ、第4クォーター残り9分を切って50-48、2点リードの時点で陸川監督はメンバーをスタメンに戻して勝負に出た。 素早いパスワークでディフェンスを引きはがして笹倉怜寿が3ポイントシュートを沈めると、代わって入った寺嶋良が高い位置からのスティールに成功して速攻を決める。オフェンスリバウンドをもぎ取って組み立て直し、大倉颯太とのピック&ロールから八村阿蓮が正面からのミドルジャンパーを決める。続いて平岩玄のパワフルなアタックから八村へと預けてファウルを誘い、フリースローで得点。一気に流れを持っていくランを増田啓介が軽快なステップからのシュートで止めたが、すぐさま攻めに転じた東海大は八村のバスケット・カウントで突き放す。 「リバウンドからリズムをつかむ」八村が殊勲の働き ここで主役となったのは八村だ。NBAドラフトの上位候補と期待される八村塁を兄に持つ阿蓮は「僕はリバウンドからリズムをつかむタイプ。リバウンドを取れると得点も伸びます」との言葉通り、平岩とともにゴール下を支配。特に勝負どころでオフェンスリバウンドを連続でもぎ取ったプレーは、混戦から勝利を手繰り寄せる決定的なものだった。 筑波大はこれで集中を保てなくなり、ディフェンスのミスが出てイージーな得点も与えるように。さらには残り2分半で増田が痛恨のファウルアウト。エース抜きで2桁のビハインドを挽回するのは難しい。山口颯斗の3ポイントシュートなど良い攻めはあったが単発に終わった。 最終スコア75-59で東海大が勝利。立ち上がりこそビハインドを背負ったものの、関東大学リーグを制した実力を存分に見せ付ける快勝となった。大倉は「相手がゾーンをしてきた時にもベンチから声が出て、手こずりはしましたけど相手に流れは渡さなかった」と、コートに立つ5人だけでなくベンチも含めたチームの勝利であることを強調する。 明日の決勝で対戦するのは専修大。陸川監督は「オフェンスで勝負するのではなく、自分たちのアイデンティティであるディフェンスで勝負したい」と意気込みを語る。 25得点13リバウンド、うちオフェンスリバウンド10と大活躍の八村も考えることは同じ。「今日と同じでディフェンスがカギになると思います。今日のプレーが上出来だとか出来すぎだとか思ってなくて、もっとできるとマジで思ってます。それだけの準備もしているつもりなので、それを明日の決勝で出したいです」と強い気持ちで明日の決勝に臨む。2018/12/15プレーヤー
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優勝候補の東海大、大倉颯太の豪快ダンクでインカレ4強へ「気持ち良かったです」立ち上がりのファウルトラブルに「反省です」 今日、インカレ男子は準々決勝の4試合が行われ、ベスト4が出揃った。関東大学リーグを制して優勝候補と期待される東海大は明治大と対戦。インカレに向けて徹底した準備を行ってきた明治大のリーグ戦からの変化を陸川章監督は「脅威だと感じた」と語るが、油断なく相手をスカウティングして、コート上でもチームバスケットを実践することで上回った東海大が84-51の快勝を収めた。 1年生ながら先発ガードを務める『スーパールーキー』大倉颯太は、第3クォーター終盤に勝利を決定付けるド派手なダンクを決めて大田区総合体育館に今日一番の興奮を呼び込んだ。ただ、今日の彼は試合の立ち上がりにファウルトラブルとなり、試合後のコメントはまずその反省から始まった。 「入りでスタートで任されている中、役割を果たす前にファウルをしてしまいました。チームの流れも悪くなるし、簡単にベンチに戻るのはあってはならないこと。ハードにディフェンスするのはもちろんですけど、すぐファウルしてしまったのは反省です」 それでも明治大は立ち上がりから攻守に激しいプレーで主導権を取りに来ており、ここで後手に回らないためにはタフなプレーが必要だった。「ああいうコンタクトでファウルになるのであれば、アジャストしなければいけません」と大倉は言う。「明日もアグレッシブに行くのはもちろんですが、ファウルするにしても1つに抑えます。今日も後半は激しいディフェンスでコンタクトがあってもファウルは取られませんでした。出だしからアグレッシブに来る相手にどれだけソリッドディフェンスできるか。明日はそこを頑張りたい」 「責任を感じてゲームをクリエイトしたつもりです」 それでも、早々に2つ目の個人ファウルを犯した大倉がベンチに下がってからが、東海大の強さの見せどころだった。陸川章監督が「全員で戦うチーム」と胸を張るように、ベンチから出るメンバーが先発と遜色ないプレーを見せる。大倉に代わって入った寺嶋良を始め、津屋一球、佐土原遼がエナジー全開のプレーで明治大を飲み込んでいった。 2つ目のファウルでベンチに下がる瞬間は「何も考えられなかった」という大倉だが、ベンチで気持ちを切り替えた。「僕みたいに大事なゲームで簡単なミスを犯してしまうってことは、どこかに甘さがあったんだと思います。自分としてはなかったつもりでも、やっぱりあったんじゃないか。ベンチから出てくる選手、特に上級生にはその甘さがありませんでした。僕は気持ちを切り替えてプレーできるよう準備をしながら、応援で盛り上げようとしていました」 40-27で始まった後半、大倉に再び出番がやって来る。その第3クォーターを25-10と圧倒。大倉は司令塔としてゲームの重要な局面をコントロールした。「大事な場面でみんな僕を信じてボールを任せてくれました。僕もその責任を感じてゲームをクリエイトしたつもりです。周りが僕に託してくれる、それをありがたく感じているし、責任を果たさなきゃいけない。立ち上がりはファウルしてしまったんですけど、そこから切り替えて、自分に向き合って戦うことができました。そこはリーグ終盤から、自分ができるようになってきたと感じる部分です」 明治大はなおもあきらめず、大倉を止めることで逆転の芽を見いだそうとしていた。だが、ここで大倉のテクニックが生きる。ピック&ロールからのスプリット(2人のディフェンスの間を割って抜くスキル)を再三決めて、ボールに激しくプレッシャーを掛ける相手ディフェンスの裏を突いた。「後半はそのアジャストの仕方として、技を見せたわけじゃないですけど、アタックできました。ピック&ロールで相手のディフェンスを引き出して間を抜く、ボールに激しく来るディフェンスの弱さを練習通り突くことができたと思います」 リズムが噛み合わずうまくいかない明治大学ターンオーバーから東海大学 11番 #大倉颯太 選手がダンク🔥東海大学がリードを広げ 4Qへ#JSPORTSオンデマンド \Live配信中/#東海大学 vs. #明治大学https://t.co/9RxkBzstKe#インカレバスケ pic.twitter.com/lwiIzZWm3r— J SPORTS バスケット公式@12月はインカレ&ウインターカップ (@jsports_wc) 2018年12月14日 残り2試合でもダンク「チャンスがあれば狙います」 こうして粘る明治大を突き放した第3クォーター終盤に飛び出したのが、184cmの大倉による豪快なダンクだ。陸川監督が「あの身長の選手がやるんだからすごいでしょう。メディアの皆さんも、是非いっぱい取り上げてやってください」と頬を緩めたシーンを、大倉は「気持ち良かったです(笑)」と振り返る。だが気持ち良かったのはダンクだけでなく、そこに至るまでの一連の流れも含めてのことだ。 「その1ポゼッション前のオフェンスで、練習から厳しく言われていた『2for1』を遂行しました(クォーターの最後をオフェンス、ディフェンス、オフェンスで終わるよう残り時間をコントロールすること)。ダンクの前のディフェンスでみんなが連動してタフショットを打たせての攻撃で走った時、クロックを確認したんです。13秒あったらみんなが戻って10秒でオフェンスできると思ったのですが、時計を見たら9秒だったので『行っちゃっていいな』と」 「連動したディフェンスで守れたので雰囲気も良かったです。だからあそこはダンクに行かなきゃいけないところだったと思います」と大倉はこのプレーを振り返る。 だからこそ、「残る2試合でもダンクを狙いたい?」と問われて臆すことなく「チャンスがあれば狙います」と言い切ることができる。「チームディフェンスから来た流れなので、まずはディフェンスから頑張ります」 東海大が目指すのはインカレ制覇。ゴールまであと2勝のところまで来た。「一戦一勝で、優勝にこだわってあと2試合を戦います」と大倉は言う。ファウルを避けつつ激しく当たるディフェンスにも、スキルを生かしたクリエイトにも、そしてダンクにも──。残る2戦、急成長を続ける大倉への期待は高まるばかりだ。 明日の男子準決勝も大田区総合体育館で。11時40分から専修大vs日大、13時20分から東海大vs筑波大の2試合が行われる。2018/12/14プレーヤー
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秋の関東大学リーグが閉幕、逃げ切った東海大学が3年ぶり5回目の優勝陸川コーチ「誰が出てもファイトし続けた結果」 昨日、秋の関東大学リーグ戦が閉幕を迎えた。総当たり戦を2回繰り返すこのリーグ戦は、1部のチーム数が12に増えたことで、約2カ月半の間に22試合をこなす過密スケジュールとなった。このタフな戦いを制したのが東海大だった。大会最終日、1勝差で迫る大東文化大の前で日本大を82-57を退け、18勝4敗で3年ぶり5回目の優勝を決めた。 陸川章ヘッドコーチは「一生懸命ひたむきにやること。それがチームだということで、最初から最後まで、誰が出てもファイトし続けた結果で勝てたと思います。ありがとうございました」と笑顔を見せた。 1年生をスタートで使うなど下級生を多く起用したが、「下級生を支えたり、自分のプレータイムがなくなっても応援がすごかったり。今日は良いところでつないでくれたし、4年生の力は大きいと思います」とチーム一丸の勝利を強調した。 また「今の時代、我々と違うのは上下関係がないんです。すごい仲が良い。下級生が平気で上級生を呼び捨てにするような時代なので『いいのかな?』って思いますけど、ちゃんとわきまえていたり、それがうまく回るった気がします」とチーム力を支える選手間の関係性を明かした。 東海大から3選手が優秀選手に選出 200cm105kgの恵まれた体格と、速攻を走る脚力を兼ね備える東海大3年生の平岩玄は最優秀選手賞を受賞した。大黒柱としてチームを牽引した平岩も、チーム力の勝利だと主張する。「みんなお互いを信頼していますし、ベンチメンバーも力があります。でも22試合全部順調に行ったわけじゃなく、自分たちの悪いところが全部出て負ける試合もありましたし、連敗もしました。でもそういう負けから学んで成長しましたし、修正力が自分たちの強みだと思いました」 また、大倉颯太と八村阿蓮の1年生コンビは優秀選手賞を受賞した。陸川コーチは「大倉君はもっと点を取らせようかと思ったら、いつの間にかポイントガードをやっている。バスケがをよく分かっている。阿蓮は身長がそんなにないですが、お兄さんと一緒でブロックの反応が素晴らしい。良さをどんどん出してほしい」と話し、「高校時代に活躍した選手で大学にどうフィットするかだったが、アジャスト能力が高く、賢いです」と続け、2人のフレッシュマンを称えた。 大倉は「リーグ優勝は目標でしたし、取らなければいけないタイトルだったと思います。スタートが変わったりしましたし、22試合の中で一番成長した自信があります。インカレに繋がったリーグ戦になってうれしいです」と喜びを表した。 長かったリーグ戦を終えたばかりだが、1カ月後には大学No.1を決めるインカレが待ち受ける。昨年は筑波大学の4連覇を阻み大東大が制したが、今年のインカレはどんなドラマが待っているか。大学バスケの熱い季節が再びやってくる。2018/11/12Bリーグ&国内
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東海大で『2つの山』を登る陸川章(後編)「目標に対し努力ができる選手を」バスケットボールでは選手上がりのコーチが長身でも別段驚きではないが、東海大学のヘッドコーチを務める陸川章はとりわけ背が高く、面と向かって話すにはかなり見上げる必要がある。ただ、それで威圧感を与えるようなことが全くない。表情豊かで身振り手振りも交え、言葉もマシンガンのように出てくる。年代別の代表でも実績のある陸川コーチを選手は最大限にリスペクトしているが、同時に「陸さん」と気安く呼びかけてもいる。天性のスポーツ好きで、話すことが好きで、情熱を持って選手を指導している陸川コーチに話を聞いた。東海大で『2つの山』を登る陸川章 (前編)「お前たちの親父代わりになるよ」「キツい時にもう一歩頑張るしかないんです」──現役の頃から高校や大学で指導をしたいという考えはあったのですか?これが不思議なもので、現役の頃は自分が選手であるという状況がずっと続くものだと思っているんですね。37歳で現役を終えたのですが、本当はもっともっと、やれるところまで選手をとことん続けるつもりでした。ところが課長研修だったか係長研修だったか、クレヨンを渡されて「自分の20年後の姿を描く」という課題があったんです。まだ30歳にもなっていなかった頃、私が描いたのは白いポロシャツを着て青い短パンを履いた自分の後ろ姿でした。その向こうにはいろんな競技の子たちがいる。その前で手を広げて話している姿なんですよ。これは今の大学と全く同じシチュエーションで、20年後に本当にそうなっているんだから驚きます。その時は会社を辞めるつもりはなかったし、休部になるとも思っていません。今もゼミで学生に同じことをやらせますが、みんないろんな20年後の姿を描きます。頭では分かっていなくても心の羅針盤がそちらを示しているんでしょうね。私にしても、なるべくしてこうなったんだと思います。──バスケ部のヘッドコーチだけでなく体育学部の講師としてのお仕事もあるんですよね?あります。体育学部のバスケットを教える授業が2コマと、湘南キャンパスで11学部ある一般の学生にバスケットを教えて、ゼミが2つ。あとは競技スポーツ学科の授業が3つと、アスリート向けの講義もやっています。スポーツ教育センターの所長もやっていますし、体育学部の広報委員長もやっています。明日も明後日も朝から晩まで会議づくめです。というわけでバスケ部の選手には私のスケジュールに合わせて朝から練習してもらっています。去年はユニバ代表の監督をやったので2月からの5カ月間、チームを離れたんです。みんな努力して頑張っているんだけど、情熱や粘りが少し抜けた部分がありました。今年は世代別の代表も全部降りたし、チームも若手が加わったのでガンガン熱量を上げてやっていくつもりです。──東海大は「ディフェンスのチーム」と見なされていて、球際やリバウンドの強さが持ち味です。しかし、これはプロにも言えますが、コーチが「球際で強く行け!」と言えばできるものではありませんよね。実際に激しさをコート上で出すための秘訣はありますか?秘訣かどうかは分かりませんが、ウチではコートでの練習以外のトレーニングを相当やっています。ウエイトトレーニング、ラントレーニング、それからバスケットなんです。だから身体が他の大学と違う。技術や戦術はもちろんですが、まずは身体。フィジカル、体力、走力、粘り強さ。そういうことを徹底しない限りは試合で強さが発揮できません。そして考え方です。いろんな映画を見せたり良い言葉を伝えて考え方のトレーニングをするんです。今朝も彼らは3000メートルのランニングを2本走りました。しかも競争です。そこで私が「頑張れ」と言うことはありません。『運命』は命を運ぶと書きますが、誰が運ぶかと言えば自分だよと、そういう話をします。自分で行きたいところがあれば、自分で自分を連れていくしかない。キツい時にもう一歩頑張るしかないんです。頑張れば頑張っただけ近づくことができます。それを積み重ねて身体で覚えていくんです。本当に小さなことを積み重ねられるかどうかだから、指導者が「馬鹿野郎!」なんて怒鳴る必要は一切ありません。一流の選手は「周りに良い影響を与えられる選手」──そんな積み重ねを4年間やってきたのが、今の日本代表やBリーグで活躍する東海大OBの選手ですね。まず仲間を思いやることができる、そして目指している目標に対して努力ができる、そういう選手が代表やBリーグで活躍できていると思います。──今年は高校バスケの有望な選手が続々と東海大に入りました。Bリーグができた今、過去のように「バスケで就職する」選手がいなくなり、みんなプロ志望だと思いますが、スカウティングの際には何を重視していますか?やはり土台となる人間力です。バスケが好きかどうか、夢があるかどうか。だから、そこの見極めはちゃんとしなきゃいけない。そうじゃない子がここに来てもしんどいだけですから。あとは練習や試合、コートから離れた時の態度は見てしまいます。東海大はみんな真面目に努力しています。今は東海大の練習が一番キツいと言われているらしいです。それを嫌がって来ない選手もいるかもしれませんが、逆に「それでも来たい」と言ってくれる選手が来てくれるのはうれしいですね。今2年の津屋一球なんかは中学生の時から東海大でやりたいと言っていたそうなので。図々しい話なんですけど、日本を背負うような才能のある選手たちに東海大に来てほしいです。そういう選手を人間力、体力、フィジカルの面で鍛えなきゃいけない、という思いがあります。ここで土台を作り、ホップステップジャンプでその先で飛躍してほしいので。だから才能のある子には是非来てほしいんです。──Bリーグが立ち上がったことで大学のバスケも変わりましたか?今はBリーグができた影響で競争のレベルが上がって、層が厚くなって大学ごとのレベルの差もなくなってきました。大学バスケもNCAAのような戦国時代になっていますが、だから楽しいです。Bリーグのクラブもスクールで子供たちを育て始めていますし、今後はあっと驚くような選手が出て来るでしょうね。その中で私は、心の山と技術の山を登るという原則を忘れずに指導していきたいです。プロになったところで、そういう土台がない限りはプロ選手を10年続けることはできません。やはり人間力なんです。一流の選手は何かと言えば、私は『周りに良い影響を与えられるかどうか』だと思います。自分のことだけをやっている選手は一流ではありません。だから、そういうことが分かる人になって、どこに行っても周囲に信頼されて可愛がられて、周りを良い方向に持っていけるポジティブな選手になってほしいです。──これまで育てた選手で、周りを良くできる例を挙げていただけますか。ザック(バランスキー)は1人で3人分の仕事をしていました。付属高校出身なんですが、彼を初めて見た時のことは今でも覚えています。スタートで出てベンチに下がった時に、代わって入った選手が脱いでいくジャージを彼が全部受け取ってベンチでたたんでいるんです。その姿勢を見て「すごい子だな」と。石崎(巧)も本当にクレバーな選手です。ディフェンスでは周りをよく見て助けているし、オフェンスではチームメートの持っている力を引き出すパスを出す。そう考えてプレーしていて驚きました。もう一人挙げると(田中)大貴ですね。もっともっと伸びてほしい。今シーズンは優勝してMVPも取りましたが、彼はもっとできます。海外でやってほしいと思うぐらいです。「渡邊も塁も『東海大かアメリカか』で考えてくれた」──少し失礼な質問かもしれませんが、今のバスケ少年は渡邊雄太選手や八村塁選手にあこがれて、「高校を卒業したらアメリカ」という進路を夢見ています。田中力選手は高校からアメリカです。大学バスケの名門である東海大が進路として選ばれないことに悔しさはありませんか?全くないですね。渡邊も塁も田渡凌も角野亮伍も、みんな私は声を掛けてました。全員、最後は「東海大かアメリカか」で考えてくれました。私はみんなに「チャンスがあるならアメリカに行くべきだ」と言っています。でも、アメリカへの進学は学業の面も含めて分からないことが多い。アメリカに行かないのならウチに来てトレーニングして上を目指せばいいと、本人にも親御さんにも話してきました。特に渡邊雄太の両親とは仲が良いんです。お母さんは私の同級生だし、お父さんは熊谷組のOBでよく飲みに行きます。だから彼のことも本気で考え、「アメリカに行く可能性が高いけど、ダメになったらウチに入れたい」と、ギリギリまで待つよう副学長に頼みました。結局アメリカに行くことが決まりましたが、「いいよいいよ、じゃあアメリカで頑張れ!」と。そこから彼は頑張って今のレベルまで来ました。雄太も塁もNBAに行けると思っています。──卒業生がBリーグや日本代表で活躍する姿はご覧になっていますか?なかなか見れません。まず授業があって、自分のクラブがあって、会議もあります。NBAの解説をやることもあるのでNBAを見て、ユーロバスケットも気になるところはチェックします。家でたまに試合を見ることはあるのですが、試合会場まで行って見るのはなかなか難しいですね。──では、教え子たちの活躍を見るのはオリンピックで、ということになるかもしれませんね。本当にそうです(笑)。次の予選のオーストラリアとチャイニーズ・タイペイに是非勝って、まずはワールドカップの切符を何とか手にしてほしいです。オリンピックが日本に来ることなんてなかなかない機会なので、その時は選手たちの活躍を見に行きたいです。当然バスケが中心ですけど、もともとオリンピックが大好きなところから始まっていますから、いろんなところでいろんな競技を見たいですね(笑)。2018/06/27プレーヤー
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東海大で『2つの山』を登る陸川章(前編)「お前たちの親父代わりになるよ」バスケットボールでは選手上がりのコーチが長身でも別段驚きではないが、東海大学のヘッドコーチを務める陸川章はとりわけ背が高く、面と向かって話すにはかなり見上げる必要がある。ただ、それで威圧感を与えるようなことが全くない。表情豊かで身振り手振りも交え、言葉もマシンガンのように出てくる。年代別の代表でも実績のある陸川コーチを選手は最大限にリスペクトしているが、同時に「陸さん」と気安く呼びかけてもいる。天性のスポーツ好きで、話すことが好きで、情熱を持って選手を指導している陸川コーチに話を聞いた。 「中村雅俊さんとオリンピックの影響」でバスケに ──まずは東海大バスケ部のコーチになるまでの経緯、経歴について聞かせてください。 私は中学まで陸上をやっていました。新潟の雪深いところの出身なので、小学校では春はソフトボール、夏は水泳、秋は陸上、冬はスキーのノルディック、ほぼずっと自然相手のスポーツをやっていました。中学は小さな学校で選択肢も少なく、走るのが速かったので陸上を選びました。 バスケを始めたきっかけの一つがオリンピックです。私は夏も冬も全部の競技をテレビで見るほどオリンピックが好きで、オリンピックの選手になるのが夢でした。1976年のモントリオール五輪でバスケットボール女子日本代表の生井けい子選手が活躍して、海外の大きな選手の間を駆け上がってレイアップを決めるシーンとか、アメリカ代表のキャプテンがコールする姿を「カッコ良いなあ」と見ていたんです。もう一つは中学生の時に『俺たちの旅』という中村雅俊さんのドラマがあって、大学のバスケットボール部のキャプテンの役柄なんです。それにすごくあこがれましたね。 ──意外に、と言っては失礼かもしれませんが、ユルい感じで始められたんですね(笑)。 そうなんです。高校入学の時点で身長が190cmぐらいあった私は、高校ではバレーをやるつもりだったのですが、入学すると全中でベスト8に入った3人の選手が「バスケをやろう」と声をかけてくれて、その時に中村雅俊さんと生井選手のイメージがばあっと頭に湧いて「よし、やるぞ!」と。バレー部の先生に入部しませんと謝って、そこからバスケを始めました。 高校は新潟県立新井高等学校です。スキーでは有名で、当時、女子のノルディックリレーはインターハイ優勝、2014年のソチオリンピックで銅メダルを取ったスキージャンプ団体ラージヒルの清水礼留飛選手は、彼もお父さんも新井高校の出身です。バスケ部は強くなかったんですが、自分たちが頑張って名門校に勝ってやろうと打ち込みました。 初心者が少しずつうまくなっていく、『SLAM DUNK』みたいな話ですよ。『柔道部物語』を描いた小林まことさんに自分たちをモデルにして『籠球物語』を描いてもらおう、なんて仲間と言ってたら『SLAM DUNK』が出ちゃった。しまった、先にやられたぞ、って(笑)。 「私の成功体験は、バスケじゃなくて仕事なんです」 ──大学は日本体育大学に行き、卒業後は実業団のNKKシーホークスでプレーしました。 バスケットを始めたのが遅かったのですが、ガードに負けないぐらいのスピードで走っていましたから、速攻がメインの日体のバスケにフィットしました。大学3年でナショナルチームに入れていただいて11年、キャプテンも2年務めました。 NKKでは15年プレーしたのですが、バブルが弾けてチームが休部になりました。その少し前に、引退後はNKKの監督になりなさいという話があったんです。「それだったらアメリカの大学に勉強に行かせてほしい」と会社にお願いしていたら休部が決まってしまい、「お前がそういうことを言うからチームがなくなるんだ」なんて冗談で言われました。 思い返すと、その時点で大学生のバスケットボール部で指導したいという思いはあったんです。子供が大人になる年代を、情熱を持って指導して『一端の男』にしてやりたいなと。ただ、いろいろ声は掛けていただいたんですけど縁がなくて、それでNKKでみっちりサラリーマンをやることにしました。課長だったので部下も十数人いて、100人ぐらいが働いている工場を回すマネジメントの長になりまして。毎日かなりエゲつなかったです。「お前はバスケしかしてないだろ」と面と向かって言われることも少なからずありました。 ──NKKで長く務めても、それまではバスケ中心だったわけですから大変ですね。 それでも私は負けず嫌いだし楽天家だから、あまり悪く考えずに仕事に打ち込むんです。夜中の2時とか3時まで残業して帰ってくる時には「バスケなんてもんじゃなくキツいなあ」と思うんですが、「最初からできるヤツなんていないよ」と心の声がささやくんです。 そんな感じで続けていくうちに仕事もうまく行くようになり、日本で作ったことのないあるプロジェクトを成功させたんです。これはすごい話なんですけど、この話をすると長くなって『プロジェクトX』になっちゃうからやめておきましょう(笑)。とにかく失敗の連続からスタートして、みんなで集まって力を合わせて最後に鉄鋼新聞の表紙になるようなプロジェクトを成功させました。これが私の成功体験で、バスケじゃなくて仕事なんです。支援してくれる仲間を集めて、スケジュールを管理すること。そして絶対にあきらめないこと。それはサラリーマンをやる中で学びました。 ──バスケから離れて成功体験を得て、その時は何歳ぐらいだったのですか? それが39歳の時です。中学校で読んだ孔子の教えで『四十にして惑わず』だけはなぜか覚えていたんですが、そこで心の声が「バスケはいいのか、バスケは……」と言うんです。その声が毎日大きくなるんですよ。それで仕事はすごく順調だったのですが、奥さんに「会社を辞めていいか。アメリカに行ってコーチの勉強がしたい」と打ち明けたんです。両親は私のやりたいようにやらせてくれるし、ウチには子供がいませんから、奥さんだけには相談しました。そこでダメだと言われたらすっぱりあきらめようと。それでも奥さんが了承してくれたので、会社に辞めると伝えました。会社は心配してくれて「どうするんだ、大丈夫か」とか「会社を辞めてバスケの勉強なんて馬鹿じゃないか」と散々言われたんですけど、間違いなく行って良かったです。 「コーチ・リク、選手は機械じゃないよ。人間だよ」 ──バスケを始めるのが遅かっただけでなく、コーチを始めるのも遅かったのですね。指導者としての第一歩が、アメリカでのコーチ修行ですか。 そうです。NKKに2回来てくれたデーブ・ヤナイさんのところで勉強させてもらいました。その教えが私の土台になっているし、東海大の選手たちの土台にもなっています。デーブさんは、「2つの山を登りなさい」と言うんです。心の山と技術の山です。この2つを登った時に、もう一つの山であるチャンピオンの山が見えてくると教えてくれました。ただし、どちらかだけを登っていても、絶対にそこには行けない。それはNKKでも教わったことです。 空港に迎えに来てくれたデーブさんの第一声が「コーチ・リク、選手は機械じゃないよ。人間だよ」でした。彼は日本にもよく来ていましたが、20何年前のことですから、コーチは選手を駒として扱うし、暴言は吐くし、しばしば殴る時代です。私はそういうのが昔から大嫌いでした。ロサンゼルスだから、チームには白人の選手と黒人の選手がいるのはもちろん、メキシカンがいて、リトアニアの子、日本の子、韓国系の子もいました。肌の色も宗教も全部違うんですが、片言の英語でも情熱と愛情を持って接したらちゃんとつながるんです。 指導の基本に何を置くか、それはやっぱり人間性とか人を思いやる気持ちとか、さっき言った『心の山』が絶対のベースになります。これなくしていくらうまくても、私には何の魅力もありません。そんなチームで勝ちたいとも思いません。人としての土台があって技術や戦術が乗るし、その先にチャンピオンチームになれるんだと思います。 ──なるほど。それが『ビッグファミリーのお父さん』として選手に慕われる理由ですね。 それで言うと私と選手に差はありません。上も下もなくて、同じ人間です。ただ歳を食っていて経験があるから「お前たちの親父代わりになるよ」と。だから時には叱ることもありますが、目的は勝つことであり、みんなから応援されるチームを作ることです。見ている人をワクワクさせる、愛されるチームで勝ちたい。華々しいダンクや3ポイントもいいですが、一つのボールをダイブして取る、そうした選手をみんなが引き起こす、そういうチームでありたいです。そのことは選手にも常々話しています。 技術的にはデーブさんはディフェンスのコーチですから、NKKでやっていたディフェンスプログラムもそうなんですけど、全体像に対しブレイクダウンドリルが全部ぴたっとハマっていくんです。だからアメリカに勉強に行ったというより、デーブさんに教えてもらいに行ったんです。デーブさんがその時にヨーロッパで指導していたら、私はアメリカではなくヨーロッパに行ったはずです。 彼はディビジョン2のカリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校からカルフォルニア州立大学ロサンゼルス校に移りました。そこで私が勉強している時も、レイカーズからディフェンスコーチやUCLAのアシスタントコーチで来ないかとオファーが来るんです。相当な格上なのにデーブさんは断るんです。「行くべきじゃないですか」と私は言うんですが、彼は違うんです。「NBAとディビジョン1は勝利至上主義でコーチも選手もどんどんカットされる。ディビジョン2もそういうことはあるし、プロに行く選手もいるけど、ほとんどの選手は社会人になって仕事をする。私はバスケを通して彼らに人生を教えてあげたいんだ」と。その考えは私にぴたりとハマりました。そんなデーブさんの下で1シーズン勉強させてもらい、縁があって東海大に来ました。 東海大で『2つの山』を登る陸川章(後編)「目標に対し努力ができる選手を」2018/06/27プレーヤー
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ユニバーシアード競技大会が開幕、ベンドラメ礼生や原修太などBリーグ勢も参戦するU-24男子日本代表が本日デビューBリーグ効果と大学生プレーヤーの奮起に期待ユニバーシアード競技大会は昨日、開幕式が行われ、今日は男子日本代表が初戦を迎える。グループBに入った日本は、今日からフィンランド、香港、ドイツと3連戦。23日(水)の休養日を挟んでカナダ、ノルウェーと対戦する。6日間で5試合を戦うスケジュール、さらに決勝トーナメントへ進出できるのは各グループの上位2チームだけ、という厳しいレギュレーション。2015年の前回大会も日本は過密日程に苦しみ、良いゲームを展開しながらも勝ち切れない試合が続いてしまった結果、グループリーグを1勝4敗の5位で終えている。陸川章ヘッドコーチが率いる今回のユニバ代表にはBリーグでプレーする選手も加わっており、ベンドラメ礼生、原修太、杉浦佑成は前回大会に続いての参加となる。大学生中心のチーム強化を長らく続けた後、シーズン終了後にはBリーグの選手が合流。7月には『ジョーンズカップ』、8月には『アジア・パシフィック大学バスケットボールチャレンジ』と招聘大会で実戦経験を積んでユニバーシアード競技大会本番に臨む。キャプテンを務めるベンドラメ礼生(サンロッカーズ渋谷)は「今はチームとして戦っている感じがあります。この12人、一人一人が、誰がコートに出ても変わらないリズム、変わらない戦力で戦えている」と、JBA公式サイト上のコメントでチームの仕上がりについて語っている。奇しくも2年前のユニバでも初戦はフィンランド戦だった。この時は残り1秒で逆転の3ポイントシュートを決められ1点差で敗れている。この時もコートにいたベンドラメにとってはリベンジの機会。当時は東海大の選手だったが、それからアーリーエントリーでNBLを経験し、プロ選手になってBリーグの新人王にもなった。『Bリーグ効果』を発揮することが求められる。また同時に大学生プレーヤーの奮起にも期待したい。特に杉浦佑成は筑波大4年だが特別指定選手としてBリーグを経験。Bリーグ勢が加わったジョーンズカップでも国外の選手に負けないフィジカルの強さを発揮し、積極果敢なプレーで注目を集めていた。貴重な国際大会、経験を積むのはもちろん、結果を残して帰って来てもらいたい。 第29回ユニバーシアード競技大会 男子ユニバーシアード日本代表メンバー 2017年8月9日発表 日本代表12名 番 号 名 前 Pos. 身長/体重 生年月日 所属チーム 2 齋藤拓実 SAITO Takumi G 172cm/63kg 1995/8/11 明治大学 7 佐藤卓磨 SATO Takuma F 194cm/90kg 1995/5/10 東海大学 9 ベンドラメ礼生 VENDRAME Leo G 183cm/79kg 1993/11/14 サンロッカーズ渋谷 11 増田啓介 MASUDA Keisuke F 191cm/83kg 1998/1/22 筑波大学 13 安藤周人 ANDO Shuto F 189cm/89kg 1994/6/13 名古屋ダイヤモンドドルフィンズ 17 杉浦佑成 SUGIURA Yusei F 195cm/95kg 1995/6/24 筑波大学 18 角野亮伍 SUMINO Ryogo F 190cm/88kg 1996/6/14 サザンニューハンプシャー大 21 田渡凌 TAWATARI Ryo G 179cm/85kg 1993/6/29 横浜ビー・コルセアーズ 25 平岩玄 HIRAIWA Gen C 199cm/103kg 1997/12/5 東海大学 27 ナナーダニエル弾 NNANNA Daniel Dan C 197cm/99kg 1997/6/2 青山学院大 31 原修太 HARA Shuta G/F 187cm/88kg 1993/12/17 千葉ジェッツ 65 玉木祥護 TAMAKI Shogo C 195cm/96kg 1996/8/30 筑波大 - 陸川章RIKUKAWA Akira ヘッドコーチ - -2017/08/20日本代表
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「B」の主役たち~田中大貴(アルバルク東京) 『現状を変えていこう』という強い意志を持って新時代を迎えた日本バスケットボール界を代表する『顔』Bリーグが誕生し、開幕カードが決定してから、様々なメディアが取り上げる映像、記事、報道の中に、これほど多く登場した選手はいないだろう。街を歩けば、開幕戦を告げるポスターの中にひときわ大きくその姿がある。今や知名度も急上昇。田中大貴は新時代を迎えた日本バスケットボール界を代表する『顔』となった。もともと極度の人見知り。初めて会った人と話すのは大の苦手だ。故郷の長崎を離れ、東海大学に進んだ頃もコートで見せる豪快なプレーとは裏腹に、試合後のインタビューに答える言葉はいつも数少なかった。しかし、経験や学びから得た自信は人を変える。「今でもインタビューに答えるのは苦手ですよ」と本人は苦笑するが、いやいや、数年前とは大違い。理路整然と自分の考えを述べる田中の姿は実に堂々としていている。「自分がどう変わったかは正直それほど分らないんですが、例えばプレーなら昔の映像を見ることで成長した自分を感じることはできます。コートの外ではいろんな場所でたくさんの方と接する機会を持てたことで、慣れ……と言ったら何ですが、徐々に自分を出していけるようになったかなとは思います。でも、それが『自信がついた』と言えるかどうかは……うーん、ちょっとわかりませんね(笑)。ただバスケットに関して言えば、自分には一つだけ自信を持っていることがあって、『真摯にバスケットと向き合う姿勢』だけは誰にも負けないと思っています。自分がどう変わったのかはよく分かりませんが、逆に昔も今も変わらないものとして、それだけは言えるかもしれません」小学2年生の時に仲の良かった年上の友だちに誘われて始めたバスケットは思いのほか楽しく、中学でも迷わずバスケット部に入った。県立長崎西高校に進学したのは中学時代の恩師と長崎西高の埴生浩二監督が旧知の仲だったこともあるが、「その頃の自分は他の強豪高校から声がかかるほどの選手じゃなかったですから。全然そんなレベルじゃなくて、県外に出ることなんて考えてもみませんでした」だが、その長崎西高校で田中は10cm伸びた身長と比例するかのように著しい成長を見せる。2年、3年で出場した全国大会での上位進出は叶わなかったが、しなやかなプレーで内外に得点を重ねる田中の存在は次第に周囲の注目を集めるようになる。「高校に入った時から埴生先生に『将来は日の丸を付ける選手を目指せ』と言われました。だから、自分も高校生の頃から必ず日本代表になるという気持ちがあったように思います」進学した東海大では1年次からスターティングメンバーに抜擢され、チームのエースとして成長し続けながら、3年次には初の日本代表入りを果たした。「将来は日の丸を付ける選手を目指せ」と言った埴生監督は早くから田中の持つバスケット選手としての資質を見抜いていたに違いないが、まだ無名だった16歳の少年はその一言を疑うことなく自分の目標とした。「高いポテンシャルとバスケットセンスは誰もが認めるところですが、大貴が何より優れている点は『現状を変えていこう』という強い意志を持っていること。もっともっと高い場所を目指し、そのための努力は怠らない。それが彼の最大の武器であると私は思っています」そう語ったのは東海大の恩師、陸川章監督だ。その言葉の向こうに浮かんだのは大学時代の田中大貴、本人の言に違わず誰より『真摯にバスケットと向き合う』姿だった。何かに突出しているより、すべてに突出している選手にしかし、努力と結果は必ずしもイコールではない。レギュラーシーズン1位で臨んだプレーオフでまさかのセミファイナル敗退となったNBL、出場したいと強く願いながら最後の選に漏れたOQT(オリンピック最終予選)代表。この半年で2度味わった無念さを田中はどう受け止めたのだろう。「ショックでなかったと言えば嘘になります。特にOQTは自分が本当に立ちたかった舞台なので、それが叶わなかったことは悔しいというより情けない気持ちが強かったです。選ばれなかった自分の力不足が情けないし恥ずかしいと思いました。でも、そこで下を向いていたら前には進めないわけで、切り替えて次を考えようと……」7月のアメリカ行きを決めたことも、田中が考えた『次』だったのかもしれない。ラスベガスで1週間、NBA選手のトレーニングも手掛けるコーチについてワークアウトに汗を流した。「とても良い経験ができました。やっぱり日本にいるだけじゃ分からないことがたくさんあるんだと実感しました。できればもっとアメリカにいたかったし、これからは行くチャンスを自分で作らなくちゃと思っています」大きな刺激を受けたアメリカでの1週間。これから自分はどこを目指すのか、どんな選手になりたいのか。「今、一言で言えばもっと圧倒的なインパクトを与える選手になりたいです。自分が状況判断の良い選手だと評価してもらっていることは知っています。次の世代の代表として期待されていることも知っています。ただ、最近はプレーがまとまり過ぎているとか、もっと我を出した方がいいとか言われることもあって、それは課題かなとも思うんですが、正直、自分は何か一つのプレーに特化するという考えはあまり好きじゃないんです。欲を言えばシュートもディフェンスもアシストもすべてのスキルで一番になりたい。何かに突出しているというよりすべてに突出している選手になりたいんです。口で言うのは簡単ですが、そうなるためにはものすごい努力が必要なことは分かっています。でも、それが自分の目指す選手像であるならば努力するしかありません。今シーズン決めているのは得点にこだわること。果敢に攻めて、見る人をオオッと言わせたいと思っています」30点取ることに『すごさ』を感じるなら、30点を取りたい田中が目指すインパクトのあるプレー。最初の「オオッ」を見せる場所は間違いなく開幕戦のコートの上だ。「これだけ宣伝してもらい、これだけ注目されている舞台に立てるのですから、自分たちがやらなきゃいけないことは決まっています。もう何度も言ってきましたが、開幕戦を戦う自分たちには勝敗を超えて、見る人に『バスケットはこんなに面白いスポーツなんだ』と知ってもらう役割がある。そういう責任があると思っています。その意味でも、もし初めてバスケットを見る人が30点取ることに『すごさ』を感じるなら、自分は30点取りに行きたい。単純に誰が見てもすごいと思うようなプレーを意識して戦うつもりです」Bリーグはこれからの日本バスケット界を変えていくものであり、そのBリーグの成功は自分たちが戦う開幕戦にあると信じている。「やりますよ。全力を尽くします」田中の最後の一言に膨らむ期待を感じながら、そうしている間にもカウントダウンは始まっている。さあ、Bリーグの幕が上がる!2016/09/22Bリーグ&国内
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「B」の主役たち~ベンドラメ礼生(サンロッカーズ渋谷) 『レオはすごい』と言われたい「まるでスパイダーマン」と呼ばれた予測不可能なプレー9月12日、Bリーグの『TIP OFFカンファレンス』が開催され、B1全クラブを代表する18名の選手が一堂に会した。サンロッカーズ渋谷を代表してステージに上がったのはベンドラメ礼生22歳。18名中ただ一人の新人選手だった。「ワクワクしています。こんなに注目されているBリーグ開幕の年に、自分がプロ選手としてスタートを切ることができるのはすごくラッキーですよね。その中で『レオはすごいぞ』と言われたい。ルーキーであろうと相手に警戒される存在になりたいです」振り返れば、3年次に3冠(インターハイ、国体、ウインターカップ)を達成した延岡学園高校時代も、1年次から先発メンバーとして起用された東海大学時代も、コートの上のベンドラメは相手にとって『非常にやっかいな存在』だった。敵の攻め手を先読みして瞬時にアジャストするするディフェンス、一瞬の隙をつくスティール、思わぬ場所から飛び込んで奪い取るリバウンド……。「まるでスパイダーマンのようだ」と言われたその予測不能なプレーはまさにベンドラメの真骨頂と言えた。しかし、「彼独自のその嗅覚のようなものは単なる天性ではなく、彼が積み重ねてきた努力の結果だと思っています」と語るのは東海大の恩師、陸川章監督だ。「見る者をワクワクさせるようなトリッキーなプレーは間違いなくレオの持ち味と言えるでしょう。が、そのプレーの土台となっているのは彼が積み重ねてきた『バスケットの基礎』です。練習を見れば彼がどれほど真面目に、地道にバスケットに取り組んでいるのかがわかります」確かにポイントガードにコンバートされて日が浅い時期には、ボールハンドリングの未熟さやパスミスも目立った。そこから日増しに安定感を身につけ、余裕を持ってチームを牽引するまでになったのは、陸川監督が言う「地道な努力」の成果なのだろう。意表を突く華やかなプレーの陰で着実に培ってきた力。今度はそれをBリーグという新たな舞台で試すことになる。ルーキーには違いないが、正確には大学のシーズンを終えた時点でアーリーエントリー選手として登録され、今年1月からサンロッカーズのユニフォームを着た。だが、意気込んで合流したもののプレータイムは極めて少なく、『使われない悔しさ』も味わったのではないか。使われるためには自分が成長するしかない。この夏はアメリカに渡りトレーニングの日々を過ごした。「20日間行ってきました。最初の10日間は岡本飛竜(島根スサノオマジック)とロサンジェルスに行って、スキルコーチに付いてマンツーマンのトレーニング。向こうの人たちは1時間半ぐらいしか練習しないんですけど、その1時間半に日本とは違うトレーニング法がぎっしり詰まっていて、すごく勉強になりました。あとの10日間は帰国した飛竜と別れてアイラ(ブラウン、サンロッカーズ渋谷)の出身校であるゴンザガ大に行きました。午前中は個人のワークアウトをやって、午後はゴンザガ大の選手たちに混じって5対5をやるという毎日。(留学中の)八村塁にも会っていろいろ話しましたよ。勉強がかなり大変みたいで『ほんとに必死ですよ』と何回も言ってました(笑)。けど、塁はすごく頑張ってて、チームの中でもいい評価を受けていると感じたし、いろんな意味でいい経験してるなあと思いました。やっぱり早い時期に日本を出て学ぶってことはプラスしかないんだなあと。大きな刺激をもらったような気がします」海を渡ってプレーする。胸の奥に秘めた「いつか自分も……」という夢は変わらずその場所にある。しかし今、自分が成すべきは目の前にあるBリーグで頑張ることだ。そこで成長する1年にしなくてはならない。ミスを恐れて積極性を失うようではダメ今シーズンのサンロッカーズ渋谷は、9年間にわたり大黒柱としてチームを支えてきた竹内譲次がアルバルク東京へ移籍し、ベテランガードの木下博之もまた大阪エヴェッサへの移籍を決めてチームを離れた。経験値の高い2人の選手を失った影響は小さいとは言えないだろう。「もちろんその影響は否定できないかもしれません。でも、うちには新しく(清水)太志朗さんや大塚(裕士)さんという経験豊かな選手が入って来ました。太志朗さんにはガードとしていろんなことを教えてもらっていますし、伊藤(駿)さんという頼もしい先輩ガードもいます。去年のように高さがない分、機動力で勝負するチームになりますが、やはりそれにはガードの力が大事になってくると思うので、そこは自分も気合いが入ってます(笑)」その『気合い』が伝わってきたのは『どんなプレーを目指しているのか?』と尋ねた時だ。驚くほど一気に大量の答えが返ってきた。「まずは自分が得点源の一人になれるようオフェンスを頑張りたいです。相手のディフェンスを崩すためには縦に割って行くことが有効なのは分かっているし、自分の得意なプレーでもあるのでそこは意識してやっていきたいです。アシスト面ではチームの中に、自分がドライブしたらパスが来るという意識付けをしたいですね。そのためにも積極的に切り込んで、そこからキックアウトというのは欠かせないと思っています。もちろんアウトサイドシュートも武器にしていきたいので、個人としてもチームとしてもより精度を上げていくことが課題です。とにかく大事なのは積極性。ガードのミスは命取りになるので要注意ですが、ミスを恐れて積極性を失うようではダメ。どんな相手でも決して怯まず、激しいコンタクトも恐れずぶつかっていきたいと思っています」と、ざっとこんな感じだ。もしかして一日中Bリーグでの戦い方について考えているのではないか?「いえ、そこまでは……。でも、同じ中地区だったらやっぱり川崎(ブレイブサンダース)が強いだろうなという気はするし、ガードの藤井祐眞さんは運動量が豊富でディフェンスもしつこくて大学時代に苦しめられた、僕が嫌いな選手の一人で(笑)、篠山竜青さんと2人揃ったガード力はリーグでもトップクラスだと思うから、負けたくないなあという気持ちはあります。そのためには何が必要だろうかとかいろいろ考えたり……。あ、そうですね、やっぱり気がつけば一日の結構長い時間、Bリーグのことを考えているかもしれません(笑)」笑った顔はルーキーらしく清々しく、それでいてどこか頼もしく。「今シーズンの自分の目標はなんですか?」。最後の質問に返ってきたのは「新人王です!」――こちらは短く、明快な一言だった2016/09/18Bリーグ&国内
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[男子日本代表 選手紹介vol.3]比江島慎 若きエースの覚醒PROFILE 比江島慎(ひえじま まこと)1990年8月11日、福岡県出身。シーホース三河所属。洛南高校でウインターカップ3連覇。青山学院大学では2年次と3年次にインカレ優勝。4年次に日本代表入りを果たす。デビューしたFIBAアジアカップでポイントガードに挑戦した。2012年NBL新人王受賞。『天才肌』と評される独特のリズムを持ち、相手を翻弄する1対1は日本随一。敵将から掛けられた「You are Champion」の言葉「独特のリズムを持つ選手」と言われる。だが同時に、対戦した選手たちは「そのリズムを言葉で表現するのは難しい」と口を揃える。そんな中、2011年ユニバーシアード日本代表チームの指揮官を務めた陸川章ヘッドコーチはメンバーの一人だった比江島について、当時こんなふうに語っていた。「とにかく接近戦に強い。1対1の強さはやはり彼の感性というか、センスによるところが大きいと思います。単にフェイントやスピードで相手を抜くというのではなく、自分のリズムでズレを作ることができる。リズムでズレを作ってディフェンスを外すんですね。あの技術は教えたからできるというものではなく、天性のものと言っていいでしょう。これから先、間違いなく日本のバスケットを牽引していく存在になるはずです」4年の時を経て、陸川ヘッドコーチのその言葉を思い出したのは昨年のアジア選手権だった。メダルが懸かったフィリピンとの準決勝、出だしから比江島の能力が爆発する。対面するディフェンスを持ち前のリズムで左右に揺さぶり、一気にゴール下に切れ込んだと思えば、守りのわずかな隙をついて鮮やかなジャンプシュートを放つ。前半だけで22得点を稼いだ比江島には、これまでにないあふれんばかりの気迫が感じられた。しかし、この試合は終盤に加速したフィリピンに振り切られる形で70-81の敗戦となる。前半飛ばし過ぎたのが影響したのか、比江島は後半6得点と失速。試合後のミックスゾーンではその悔しさが涙に変わった。こらえようとしてもこみあげる涙で言葉が詰まる。これほどまでに打ちひしがれた比江島を見るのは初めてだった。その様子を隣で見ていたのはフィリピンのヘッドコーチ、タブ・ボールドウィンだ。最初は遠慮がちに視線を走らせていたが、やがて自分のインタビューを中断させると比江島に歩み寄った。その肩を抱いて「You are Champion」と声を掛ける。「泣くことはない。君のプレーは素晴らしかった」そんな思いが込められているような「You are Champion」――敵将が贈らずにはいられなかったその一言、それは比江島がアジアで認められたことを示す貴重な言葉でもあった。リズムでズレを作ってディフェンスを外し、得点を量産する比江島。スコアを取る力とパスのうまさがある「ものすごく真剣にバスケットと向き合い、努力して、でも、勝てなくて涙して、その悔しさをバネにまた頑張ろうと思う。そういう経験が選手を育てるんです」と語るのは、比江島が所属するアイシンシーホース三河の鈴木貴美一ヘッドコーチだ。比江島が初の日本代表入りをした2012年、代表チームの指揮を執り、彼をポイントガードにコンバートさせたのが鈴木ヘッドコーチだった。「初めは戸惑いもあったと思います。ミスも目立ちました。翌年アイシンに入り、リーグの新人王は取りましたが、天皇杯では1回戦負けという苦い経験もしている。でも、あれだけの能力を持った選手です。バスケットIQも高いので成長は早かったですね」アイシンには柏木真介、橋本竜馬という力のあるポイントガードがいることもあり、『新米』の比江島が任されるのは格下のチームが多かったが、それも2年目までのこと。3年目を迎えたシーズンは強豪チームとの対戦においてもスタートからポイントガードを任されることが増えた。「それはやはり経験だと思います。去年、彼をNBAのサマーリーグに連れて行きキャバリアーズのトレーナーにみっちりスキルドリルをやってもらったんですが、その経験も大きかった。その後の代表活動を見ても単に技術だけではなく、判断力とか視野とかそういう面での成長を感じました。この先も経験を積むことでまだまだ成長できる。ものすごい選手になると思いますよ」とはいえ鈴木ヘッドコーチは比江島の1番起用にこだわるわけではない。「場面によっては彼の得点力を生かした2番ポジションでも使っていくつもりです」それは代表チームにおいても同様で、長谷川ヘッドコーチも「比江島はチームで1対1の能力に最も長け、スコアを取る力とパスのうまさがある。本番ではゲームの展開によって1番と2番両方に使う可能性があります」と述べている。アジア選手権では田臥勇太とコンビを組んだ2番での働きが強く印象に残ったが、本人曰く「1番は頭を使わなければならない分体力を消耗する気がするので、自分としては2番の方が伸び伸びやれるかなあという気はします」――が、その一方で1番ポジションで経験を積んできた自負もある。「3年やってきましたから、それなりの自信もついてきました。1対1で打開することやピック&ロールを多めにやることも求められていることなので、そこは意識してやっていきたいです」口下手で自信なさげだった内面が変わりつつある今回の代表チームがOQT(世界オリンピック最終予選)に向けて掲げたテーマは『超ハードワーク』。超と付くからには当然昨年以上のハードワークが求められる。比江島にとって昨年を超えていかなければならないのはどんなところなのだろう。「自分が考える超ハードワークというのは、プレーそのものというよりディフェンスやリバウンドやルーズボールのコンタクトをいかにハードにできるかということです。平面でのスピード、高さ、フィジカルの強さ、正直そういったものはヨーロッパのチームの方が上だと思っているので、僕たちには細かいプレーで競り負けないハードさが必要だと思っています」昨年より自分が仕掛けていく回数が増え、点数を取りに行くバリエーションの数も増した。速い展開の時は自分が絡んでいかなければならないという意識もある。「そういったところも全力で、超ハードに……ですね」そんな話を聞きながら、比江島が少しずつ変わってきたことに気付く。洛南高校時代から『天才肌の選手』と注目を集め、青山学院大では勝負どころで一気にギアを上げることから『比江島スイッチ』という言葉が生まれ、プロ選手となった後もスポットライトを浴びる場面は多かった。それでも、そういった華々しい経歴に似合わず、素顔の比江島はシャイで口下手だ。記者団に囲まれて受ける取材はいつも言葉少なめ、コートの外で闘志をアピールするのも得意ではなく、たとえば「自信はあります」と答えても言葉のテンションが低いため、なぜか自信がなさそうに聞こえるのが可笑しかった。しかし、昨年のアジア選手権で見せたあふれんばかりの気迫、敗れた後、打ちのめされたように流した涙、それはいずれも比江島の『情熱』の発露だったと言える。そして、経験は人を成長させるのだ。「去年は大事な場面で決め切れなかった悔しさもあったし、自分の力不足を感じるところもありました。今度はそういう場面でもちゃんと決め切れるよう、自分の力をすべて出し切るつもりで戦いたいと思います」世界が相手の舞台で、全力を出し切る自信はありますか?「自信はあります」とりわけ大きな声でもなく、気負った様子もなく。だが、そう答えた比江島の言葉にはしっかりと彼の闘志が表れていた。25歳だが国際経験は豊富。自分の殻を破ろり、『情熱』を自然に発露できるようになりつつある比江島には、まさにエースとしての働きが期待される。2016/06/28日本代表