
『ライジングゼファー福岡』の検索結果
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『SUMMER SUPER 8』、ライジングゼファー福岡の試合はFacebookで無料視聴可東アジアの8チームが集まる大会は今日開幕 今日から6日間、マカオで開催されるFIBA公認の『SUMMER SUPER 8』には、B1昇格を果たしたライジングゼファー福岡が参加する。 参加チームは広州ロングライオンズと新疆フライングタイガース(中国)、ETランドエレファンツと三星サンダース(韓国)、ブラックウォーターエリートとNLEXロードウォーリアーズ(フィリピン)、フォルモサドリーマーズ(台湾)、そして福岡。8チームを2つのグループに分け、上位2クラブが決勝トーナメントに進出して優勝を決める。 2年連続の昇格でB3からB1へ最短でたどり着いた福岡だが、B1の戦いに備えてチームの半数を入れ替える大型補強を敢行。河合竜児ヘッドコーチは代わらないが、富山グラウジーズを率いたボブ・ナッシュをアソシエイトコーチに迎え入れるなどコーチングスタッフも強化している。連続昇格の勢いはあるとしてもB1では苦戦が予想されるだけに、シーズン開幕時点でチームの完成度をできる限り高めたいところ。そういう意味ではこの『SUMMER SUPER 8』は実戦経験を積み、急ピッチでチーム作りを進める良い機会となる。 17日(火)22:00 vs広州ロングライオンズ 18日(水)18:00 vs三星サンダース 19日(木)16:00 vsブラックウォーターエリート 21日(土)18:00、20:00 準決勝 22日(日)20:00 決勝 またこの大会は、ライジングゼファー福岡のFacebookページで無料視聴が可能となっている。 ライジングゼファー福岡Facebookページ2018/07/17Bリーグ&国内
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琉球ゴールデンキングスの津山尚大、出場機会を求めて『第2の故郷』福岡へ移籍かつて大きく成長した福岡に帰還 7月7日、ライジングゼファー福岡は琉球ゴールデンキングスから津山尚大を獲得したことを発表した。昨シーズンは平均5.1得点、1.3アシストを記録。積極的な3ポイントシュートが持ち味の津山は、昨シーズン序盤はスタメンで起用されたが、シーズン中盤以降はベンチに周り、徐々にプレータイムが減少。試合数、プレータイム、得点で一昨シーズンを下回る結果に終わった。 それでも高校卒業後に大学進学ではなくbjリーグ時代の琉球へ加入することを選んだ津山は22歳とまだまだ若い。福岡への移籍に際して次のようなコメントを発表している。「第2の故郷でプレーできること、そして僕を迎えいれてくださったライジングゼファーフクオカの皆さん、そしてファンの方々に感謝の気持ちを持って全力でプレーしたいと思います!」 琉球は津山との再契約を望んだが、津山はプレータイムを得られる環境を優先して移籍を選んだ。福岡が第2の故郷なのは、福岡大学附属大濠で高校時代を過ごしたから。大濠では1年から主力として活躍。2012年のウィンターカップでは渡邊雄太を擁する尽誠学園相手に1年生ながら37得点を稼いでその名を広め、以降も中心選手としてチームを引っ張った。3年生として迎えた2014年のインターハイでは大濠を28年ぶりの優勝へと導いており、いわば「福岡を日本一にした」経歴の持ち主だ。 高校からのプロ入りを果たした津山も22歳。大学に進んだ同級生は今年が4年で、来シーズン途中から特別指定でBリーグに参戦してくるはず。「これから同世代の選手たちがプロの世界に入ってきた時、彼らを打ち負かせるようにやりたい」と以前に語ったように、高校から直接プロ入りする道を選んだ津山としてはライバルに明確な差を付けておきたいはずだ。積極果敢に放つアウトサイドシュートを持ち味とする津山が成功を収めれば、大学を経ずにプロ入りして通用するという良い前例になる。そういう意味でも福岡の津山がどんな結果を出すかに注目したい。2018/07/09Bリーグ&国内
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ライジングゼファー福岡とU-22日本代表で、『卒業の春』に経験を積む井上宗一郎この春に福岡大学附属大濠を卒業する井上宗一郎は、4月から筑波大に進学することが決まっている。それでも、ウインターカップを終えて高校バスケを『卒業』した後の数カ月を充実したものにすべく、ライジングゼファー福岡に特別指定制度で入団した。大学バスケに進む前にプロの世界に触れることは、18歳の井上にとってまたとない経験となる。200cmのサイズを誇る井上は、ライジング福岡への入団が決まって早々の1月20日にデビューを果たし、ここまで9試合でプレー。この週末に行われる仙台89ERS戦をもってチームを離れることになる。U-22日本代表のスプリングキャンプと並行する過密スケジュールとなったが、井上は自身が望んだ『濃密な日々』を過ごしている。「がむしゃらにやるのも大事だけど質も追求する」──濃密な日々を過ごしていると思いますが、プロの世界はどうですか?フィジカルに加えて高さも出てくるので、「まだまだだな」と思わされる部分しかないです。日本人選手よりも外国籍選手次第でチーム力が変わってくる印象です。個人としては、やはり高さで勝てなくなってきます。皆さん良くしてくれるし、練習環境もすごく良いし、レベルが高いのでやっていて勉強になることばかりです。──プロチームを経験して、現在はU-22日本代表のキャンプにも参加しています。カテゴリーが上がったことで初めて知ったことはありますか?練習前の準備や練習後のケアが違いますね。高校生だとチーム全員が同じことをやっていましたが、一人ひとりが自分の足りない部分をトレーニングしてから練習に入っています。代表だとトレーナーと相談しながらメニューを作って体幹などをやっていて、その意識が全然違います。あとは代表のキャンプで聞いたシューティングの話です。僕はすごく数を打って、そのことに自信を持っていたのですが、「シューティングは量より質だ」という話を聞いて。一つひとつを打つ中で、ズレをどう修正するのか確認していく。フォームが身体に馴染んできたら試合のタイミングで打つ。シューティングだと試合よりもゆっくり打つイメージでしたが、それは違うと聞いて今のままじゃダメだと思いました。シューティングに限らず、がむしゃらにやるのも大事だけど質もしっかり追求すれば違うんだなと。「あの地獄があったから今の自分がある」──現在の経験が自分のレベルアップにつながっているという実感はありますか?去年の春、高校3年になったばかりの時に東京遠征をして、筑波大とか専修大を回って試合をしたんですが、その時と比べるとU-22のキャンプで自分がレベルアップしていることが実感できました。1年前に比べればフィジカルはもちろん強くなったし、スクリーンのかけ方はライジングで教えてもらったことが役に立ちました。パワーとシュート力はまだまだ足りないと痛感したのですが、ライジングでもU-22代表でも素晴らしいコーチたちに指導してもらっています。フィジカルの強化も、自分の得意とするポストアップやそこからのステップも、しっかりワークアウトで学んでいます。この練習を続けていけば絶対にフィジカルも強くなるし、やっていけると思います。──今こうした経験ができているのも、高校3年間の積み重ねがあったからだと思います。福岡大学附属大濠の片峯聡太監督からは何を学びましたか?難しいですね。多分、僕が一番怒られてきたので。まずは走れなかったんです。1年生の頃はセンターとのポジション争いをする上で、自分の武器がありませんでした。それでひたすら走っていたんです。あの時は「なんでこんなに走らなきゃいけないんだ」と思いましたが、あの地獄があったから今の自分があるわけだし、やり続けられたのは片峯先生を信じていたからです。それは間違ってなかったです。やり残したのは日本一ですね。インターハイでは優勝しましたが、僕の中では『仮の日本一』なんです。ウインターカップで負けたら真の王者とは言えないので。片峯先生は「インターハイは全国大会の新人戦」と言っていました。僕たちはそこで一度優勝しただけなので。「自分が目立つよりもチームを支える支柱に」──U-22代表では来年のユニバーシアードが目標となります。生き残りへの自信は?センターとしては高さもフィジカルも足りないです。あとは自分を選んでもらうための武器が必要だと思います。ミドルシュートや3ポイントシュート。そこは他のセンターにはない武器なので、磨いていきたいです。そこで目標にしているのがアキーム・オラジュワンです。ほとんどオフェンスしか見ていないですが、ああいうプレーができればフィジカルに関係なく外からでも得点できます。それができれば大きな強みになると思っています。大学の次はもうプロなので、その準備として4番ポジションの動きも必要になると思います。日本代表の試合を見て思ったのはディフェンス力です。体格も高さも負けるので、ダブルチームという考え方が一番最初に出てきます。相手を一人で止めるというディフェンス力がないのは確かですよね。僕の場合はインサイドプレーヤーというよりインサイドエリアを守る、という考え方です。例えば厄介な選手とのマッチアップでその選手の得点を減らしたり、外から得点することで引っ張り出したり、自分が目立つよりもチームを支える支柱になりたいんです。そういう意味ではメンタルでもチームを支えられると思います。頑張って身体を張って勇気を与えるとか、コートで声を張るとか。前の選手は後ろが見えないから、後ろの選手が黙っていたら不安じゃないですか。そういうリーダーシップは必要だと思っています。──A代表はもう視野に入っていますか?僕はそんなにすごい選手ではないし、身体能力もあるわけじゃないので、焦らず一つずつ段階を踏んでいって、まずは大学1年からU-22代表に定着したいです。そこから来年、再来年に向けてレベルアップしていけたらと思います。僕の高校バスケは負けて終わりました。そこで残った課題に加えて、ライジングで将来のことを考えられたし、U-22代表では次にやらないといけない課題がまた見えました。大学に行ってまた年上の選手とやるのは大変ですが、これまでのように「絶対にやられない」という負けん気でやっていくつもりです。2018/03/03Bリーグ&国内
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連続昇格を狙うライジングゼファー福岡、小林大祐が復帰へ「ケガをする前よりも活躍してやるんだという気持ち」ライジングゼファー福岡はここまで28勝6敗、B3からの昇格1年目ながら順調に勝ち星を伸ばし、最短でのB1昇格に突き進んでいる。だが、そこにエースである小林大祐の姿はない。昨年10月25日の広島ドラゴンフライズとの試合中に左上腕骨を骨折する大ケガを負ったからだ。あれから3カ月。強い気持ちでリハビリの日々に取り組み、戦線復帰の準備が整いつつある。栃木ブレックスから福岡に移籍した2016年夏、B3からの再出発に際して「2年でB1に昇格する」との言葉を『有言実行』にするために。小林は昇格への最後の一押しになるつもりだ。「3カ月でここまで来れたのは周りのおかげ」──練習場でしっかり動けている姿を見ることができて安心しました。まずはケガをした当初の心境を教えてください。僕がバランスを崩したのもあって、レイアップに行った時にゴールの支柱に激突しました。左腕から突っ込んで、パックリ折れた感じです。肩と肘の間が90度外側に曲がった腕を見た瞬間、パニックになりましたね。ただ不思議なことに、まだフロアにいた時点で「これはどれぐらいかかるんだろう」と復帰のことを考えていたんです。手術から3週間ぐらいは39度の熱がずっと下がらず、動けるようになって、ようやく「ケガをしたんだ」という実感が持てるようになりました。ありがたかったのは、たくさんの連絡をいただけたことです。例えば元チームメートで尊敬している田臥勇太選手とか、日立で一緒だった渡邉拓馬さんがすぐに連絡をくれました。いろんな方からの言葉が励みになりました。──そこからのリハビリは順調に進んだようですが、実際どんな感触ですか?広島の救急病院で、日常生活に戻るのが3カ月で、バスケは半年以上やれないと言われたんですが、いろんな人を巻き込んだんです。理学療法士さんだったり、チームメートもそうです。身体に良いこと、骨に良いことを聞いては実行して、3カ月でここまで来れたのは周りのおかげですね。自分の中では「治そう」という意識がすごく強くて、シーズン中に復帰するのはもちろん、むしろケガをする前よりも活躍してやるんだという気持ちです。「僕が戻れば絶対チームのためになる」という自信──スタンドから見ているチームの戦いぶりをどう評価していますか?僕がいなくなって19勝6敗、やっぱりホームで初めて広島に負けた時は悔しかったですね。チームメートが負けるのを見るのは悔しいし、自分が何もできないのはキツいです。今の成績には満足していないし、早く戻りたい一心です。僕が戻れば絶対チームのためになるし、良い成績も残せます。勘違いかもしれないですが、そこに絶対的な自信を持っているので。ケガ人が出て、その試合ごとにスターというかエースが出るようになりました。19勝6敗という結果に満足はしていませんが、皆でカバーするチーム力はすごく上がったと思います。個人の力もありますけど、チーム力ができてきました。ここに青野(文彦)さんが完全復調してくれるだろうし、僕も戻ります。チームはマイナスの状態で戦っているわけで、そこでチーム力が上がっているのはすごく良いことです。──では、あえて課題を挙げるとしたら?離せる時に離せないところですね。言い方は悪いですが、20点差をつけなきゃいけない相手に接戦をやったり、結果的には勝っていても気のゆるみを感じることはあります。相手もプロだし、20点差を30点差にするのは難しいのですが、それでも引き離す力がまだ足りないかなと。──福岡のB1昇格を考えると、成績とともに問われるのがB1ライセンス取得です。勝つだけではダメで、特にここまで平均1500人あまりのホームの集客数は黄信号です。集客に関しての考え方は変わりつつあります。「試合をするだけがプロの仕事じゃない、試合に何人のお客さんを呼べるかがプロの真の価値だ」とチェアマンがよく言いますが、それって本当に大事なことです。正直、今まではそう考えたことがなかったですから。僕はあまりコミュニケーションが得意じゃなくて、ファンサービスは苦手だったんです。日立や栃木では『塩対応』って言われていたんで。でも福岡に来て「意識を変えなきゃ」と思うようになりました。目指すのは強く愛されるチームです。福岡の県民性で、ただ強いだけじゃダメなんです。愛されるチームにならないとお客さんは来てくれません。B1からB3への選択「この道を正解にするために」──JBLで新人王を取って、日立、栃木と活躍して、Bリーグができるタイミングで3部の福岡に来ました。「地元でやりたい」と戻って来た気持ちに変化はありませんか?福岡のチームをB1に上げたいという思いは強いです。よく「後悔はないんですか」って聞かれるんですが、後悔がないとは言い切れないですね(笑)。ただ福岡が嫌いなわけじゃなくて、「ここで違う道を選んでいたらどうなっていただろう」と僕はよく自問するので。それは『後悔』ではないのかもしれないですけどね。どの道を選ぶのが正解だったのかは分かりませんが、ただこの道を正解にするために今必死でやってるので。言ったことは実現したいんですよ。有言実行ってカッコいいじゃないですか。だから僕は福岡に戻って「B3からB1まで最短昇格する」と言ったので、そこはなんとしても達成したい。そのこだわりは強いですね。今回は僕がケガをしてチームにもメンバーにも迷惑をかけたので、その罪滅ぼしの気持ちもあります。僕がいない間にみんな頑張っていますから。応援してくれるファンの存在もそうです。「福岡をB1に」を合言葉にみんな頑張っていますから、僕は試合で頑張って、福岡をB1に上げることで恩返ししたいです。──そこには『エースの自覚』もありますか?自分がエースだと考えたことはありませんが、試合に出続けなければいけないとは思います。「腕の状態は90%まで戻っています」──早く戻りたい一心だとは思いますが、今のコンディションはどうですか?腕の状態は90%まで戻っています。今はしっかり練習できていて、来週からは対人練習も始めます。怖さはないです。次にケガしたら仕方ないという気持ちなので。あとは肩の柔軟性が戻れば、筋力も体力も問題なく復帰できます。それにこの期間、普段ではやれない細かい技術をしっかりやれました。僕はハンドリングとか細かい技術が苦手で、普段は得意なことを伸ばすべきだという考えです。しかし今回は短所を直す取り組みをして、実際にうまくなったと思います。それに加えて体幹だったり身体の柔らかさを取り入れたり。それはケガをしなかったらやっていなかったと思います。ケガをしたから良かったとは全く思わないですけどね(笑)。不安なのはゲーム感覚ですが、そこまで心配はしていません。僕はどちらかと言うと人に合わせるのではなく「合わせてくれ」という性格なので、周りが合わせてくれるだろうと(笑)。──では最後に、試合復帰がいつになるのか、復帰への意気込みを聞かせてください。アウェーで復帰するよりはホームが良いかなと思います。現実的には3月頭、久留米のみづま総合体育館での仙台89ERS戦でしょうが、それでも個人的には遅い感覚です。個人的にはあと1週間か2週間で試合に出ても絶対に行けると思っています。大ケガをしても気持ちを強く持てば、それまでよりも活躍できることを見せたいです。活躍できない可能性もありますが、そこは有言実行なので、結果を出します!2018/02/05Bリーグ&国内