取材・写真=古後登志夫 構成=鈴木健一郎

「会社だけ、選手だけの力ではB1昇格はなかった」

2年連続の昇格を決めたライジングゼファーフクオカ。チームの『顔』は山下泰弘と小林大祐、2年前に地元の福岡に戻ってきた2人だが、目立たないところでチームを支え続けたのが石谷聡だ。福岡県出身の32歳。2008年にライジング福岡に入団し、青森ワッツでの1年を除いて9シーズンを福岡でプレーしている。今シーズンはセカンドユニットの一員として、ケガ人が相次いだチームを全60試合に出場で支え、昇格に導いた。

そんな彼にとっては『B3からのB1昇格』よりも、それ以前の紆余曲折が頭に浮かぶ。「良い時も悪い時もあったし、そういう時代を支えてくれた方だったり応援してくれた方々、その時代にプレーした選手、いろんな方の思いが積み重なってこの昇格があると思います。もう言葉にならないというか、感慨深いです」

bjリーグ2年目から実績のある福岡にとって、Bリーグ立ち上げ時にB3に振り分けられたのは大きなショックだった。「当時は青森に所属していたんですが、自分が所属したチーム、地元のチームが参戦できないのは本当に悔しくて悲しくて、まだ決まったわけじゃなかったですけど、何かできないかと思っていろんな人に声をかけて署名してもらったり、SNSで発信してもらったり。当時の選手だけじゃなく、過去に所属した選手もたくさん協力してくださってB3に参戦することができました。会社だけ、選手だけの力ではB1昇格は絶対にあり得なかったので、本当に皆さんの協力があって昇格を成し遂げられたのだと思っています」

「控えで出ても僕の仕事は何も変わらない」

石谷がプロ選手になったのは2008年。bjリーグのドラフトにはかからず、練習生から這い上がった彼が、10年後のシーズンに全試合出場で昇格に貢献した。「もちろん、スタメンで出たいという気持ちはあるし、それを勝ち取るための努力は絶対必要です。かといって控えで出ても僕の仕事は何も変わらないので、自分のやることに集中していました」と語る。

思い返せば、石谷はプロ選手になる以前から地道な努力を続けられる選手だった。「僕が大学の頃はbjリーグもなくて、当時のJBLは関東の大学の選手が行くものだという印象でした。そこからbjリーグができて、地方の大学の選手などそこまでキャリアがなくても行けるようになって、そこから広がったと思います。僕自身も全国で活躍したわけではないですが、地方の大学でもコツコツやっていけば結果が出せました。僕がライジングに入った時、こんなに長くできるって思った人はいなかったと思いますが、自分のやれることをしっかりやれば活躍できます」

『雑草魂』でここまでやり抜いた秘訣について「自分だけの力でここまで長くプレーできるわけではない」と周囲への感謝をまず語り、『継続は力なり』と説いた。「1年目なんかはその日にプレーするのに必死で、あとはコツコツ地道にやりました。悔しいこととか辛いこともあるけど、ポジティブにとらえてやっていくしかない。それが長くやる一番の秘訣だと思います。『継続は力なり』と言いますが、継続することって意外と難しいですから」

秋田との決戦に向け「アグレッシブに戦って勝ちたい」

先週末のFイーグルス名古屋とのプレーオフ、石谷は指をケガしていたが2試合ともにベンチからハッスルして勝利に貢献している。「B1昇格が最大の目標で、本音で言うとファイナルは関係ないという気持ちでした。今週やってケガして来週出れなくても、とにかく絶対に勝ちたいという気持ちでした。僕たちだけの目標じゃなく、応援してくれるブースターやスポンサーの皆さん、いろんな人の思いがあるので、絶対に負けられなかったんです」

その大勝負を2連勝で乗り切り、昇格が決定。今週末はシーズン最後の試合、敵地での秋田ノーザンハピネッツ戦を、B2優勝を懸けて争うことになる。「会場の雰囲気は本当にすごいし、完全アウェーの状態で戦うことになりますが、もうB1昇格も決めたので、その勢いでクレイジーピンクのブースターの皆さんを黙らせられるような戦いをしたいです」

秋田を率いるペップ・クラロスはかつて福岡を率いていたヘッドコーチ。「そのあたりの癖、やりたいバスケットは分かっているつもりです。分かっていても止められないのが秋田の強さなんですが、その秋田に対して僕たちがアグレッシブに戦って、勝ちたいと思います」

B1昇格という目標は果たしたが、どうせなら勝って終わりたいのは両チームとも同じ。長いシーズン、負けられない試合ばかりを戦って心身ともに疲弊の極みにあるだろうが、両チームの意地と意地の激突に期待したい。