増田匡彦

2020年夏、東京オリンピックは1年延期となったが、チェアマンが交代したBリーグは実質的な『フェイズ2』に入った。新しいプロリーグとして『BREAK THE BORDER』を掲げて急成長したBリーグは、新体制で次の成長を目指す。ただ、それはどこを目標として、どんなアプローチで進められるのか。日本バスケの新たな成長を牽引するキーマンに話を聞いた。Bマーケティング執行役員を務める増田匡彦は、Bリーグ以前からバスケ界で様々な業務を担当してきた言わば『生え抜き』だ。誰よりもバスケットボールを愛する彼に、どうやってBリーグの魅力を発信し、ファンを増やしていくのかを聞いた。

JBL、NBL時代は「大変でしたけどありがたい経験」

──まずは増田さんのご紹介、プロフィールを教えてください。

新卒でプログラミングやサーバー構築をやるエンジニアを3年間やったのが最初の社会人経験です。もともとスポーツの仕事がしたかったわけではなく、バスケの仕事に興味はありましたが、それは選手かコーチしかないと思っていました。バスケはやってきましたがプロになれるようなレベルではなかったし、指導者も目指していなかったし、大学がIT系の学部だったので普通に就職活動をしました。

僕は2006年入社なんですけど、新卒で入った会社がバスケ世界選手権の仕事を受注していたんです。新人研修の途中でしたが取締役に「僕にやらせてください」と売り込んで、世界バスケ浜松ヴェニューのIT部門の責任者をやることになりました。それが新卒で一番最初にやった仕事ですから、すごい偶然ですよね(笑)。

その会社はJリーグの仕事もやっていて、世界選手権が終わった時がJリーグのサーバーの会社のリプレイスのタイミングで、その責任者でサーバーを構築したりOSをインストールしたり。2007年から2008年にかけてはJFAハウスで働いていたので、サッカーはその時期は特に詳しいです(笑)。すごく面白い仕事だったんですけど、自分はあくまで外部の人間だ、という気持ちがだんだん強くなりました。もう随分前の話ですが、サッカーはバスケより断然人気があって最先端だと思っていて、それでもITについてはまだまだ注力できていない印象だったので、「バスケは僕がやっている仕事が生かせる」と思い、紹介してもらってJBL(日本バスケットボールリーグ)に転職しました。

──Bリーグで競技運営や広報回りの仕事をしているの増田さんの姿とエンジニアだと、だいぶ違いますね(笑)。

そうですね、よく言われます(笑)。JBLでは広報をやって、当時はまだTwitterしかなかったSNSでの情報発信を始めたり、Webサイトの改修をしていたんですが、1部署1人の組織なのでオールスターなんかだと設営を含めて全部やらないといけませんでした。当時はすごく大変でしたけど、振り返れば非常にありがたい経験でした。

僕が入ってすぐの2010年には北海道のチームが破綻して「増田、行ってこい」と北海道に派遣されて、折茂(武彦)さんと一緒に一般社団法人を立ち上げて、レバンガ北海道の理事として何年か運営に携わりました。こうしてJBLとNBLの仕事をやって、Bリーグの時代を迎えています。