三屋裕子

「選手にはバスケットをやる権利がある」と再開を強調

日本バスケットボール協会(JBA)の三屋裕子会長が、今日の定時評議委員会での信任を受け、会長続投が決まった。2021年9月開催の定時評議員会までが任期となる。

新型コロナウイルスの影響で、今はカテゴリーを問わずどの公式大会も動かない状況。「このコロナ禍で大変な中での就任になります。やるべきこと、解決しなければならないことがたくさんあり、身が引き締まります」と語る三屋会長にとって最大のミッションは、日本全国でバスケットボールを再開させていくことだ。

各カテゴリーの大会については、イレギュラーな形であっても安全を担保しつつできる限り再開に持っていくというのが三屋会長の考え方。リスクばかりを考えてすべてを止めるのではなく、選手の立場に立っての再開を模索していく。

「止めることは簡単ですが、再開の判断は難しい。47都道府県で状況が違うので、やれるところとやれないところが出てきます。公平にと考えると状況が悪いところに合わせることになります。ですがモスクワオリンピックのボイコットを経験した私からすると、アスリートの1年は非常に重要で、それを議論もなしに止めてしまうことに疑問がある。何ができる方法はないかと探っていきます。県予選がなければ全国大会はできないのか、そこから議論しています。まずは選手、指導者にはバスケットをやる権利がある。それをどう守るかも協会の役目。譲れるところは譲りながら、安心してバスケットができる環境を作る。それが今回のJBAの最大のミッションです」

「一回オリンピックを逃すのは選手にとってかなり大きい」

その先には、2021年に延期された東京オリンピックがある。日本での感染拡大はひとまず落ち着いた感はあるが、第2波の襲来も予想され、海外へと目を向ければ感染がまだ収まらない地域もある。ワクチンが開発されるまでオリンピック開催は無理、すなわち2021年の開催も難しいとする意見もあるが、三屋会長はオリンピック開催を熱望している。

三屋会長はバレーボール選手として1984年のロサンゼルスオリンピックに出場、銅メダルを獲得した実績の持ち主。ただ、その前の1980年モスクワ大会は日本が参加をボイコットしたため、出場できなかった。オリンピックに出場する権利を勝ち取りながら、スポーツ以外の要因に振り回された経験がある。

三屋会長は言う。「先ほども話しましたが、私はモスクワオリンピックのボイコットを経験した人間です。選手には何とかオリンピックを経験させたい。一回オリンピックを逃すのは選手にとってかなり大きいので、チャンスがあるならどんな形でもいいから開催してもらいたい。諸外国からの観光客、応援の方々はお呼びできなくても選手は呼べるんじゃないか。PCR検査をして選手村で2週間待機してもらって何もなければ選手はプレーできると思います。観客は日本人だけで少し寂しくなるかもしれませんが、オリンピックという競技はできると思う。私はどうにかオリンピックを開催してもらって、バスケットは4種目あり、女子はメダルに近いところにありますので、何とかJBAとして史上初の女子のメダル、男子はベスト8を目指してもらいたい。3×3も女子はメダル圏内です。何とかメダルを1つでも2つでも取ってもらいたいと思っています。私もできる限り、オリンピックを開催してもらえるようにアクティブに動いていきたいです」

三屋会長を動かすもう一つの力は『バスケットボールで日本を元気にする』というJBAの掲げるスローガンだ。プロ野球とJリーグが再開する中で「バスケも続かなきゃいけない」という思いがある。まだ不確定要素は多いと前置きしつつも、三屋会長は7月中旬から男子日本代表の活動を再開させ、8月には男女の5人制、3人制、また車椅子バスケットボールの日本代表を集めたイベントを行いたいとの考えを語った。

アメリカではNBAの再開プランが正式に決まり、ヨーロッパ各国ではサッカーが再開となった。日本のバスケ界も、再び動き出す。