文=鈴木健一郎 写真=星野健一

一番最初に声を掛けてくれたのがアルビレックスBBでした

新潟アルビレックスBBは昨日(6月30日)に、2016-17シーズンの新体制を発表。ヘッドコーチに庄司和広、アシスタントコーチには堀田剛司を迎え、改めてホームタウンを長岡市としてBリーグ開幕のシーズンをスタートさせることになった。

そして今日、ホームアリーナとなるアオーレ長岡で、ファンを集めた公開記者会見を実施した。『重大発表』と題されたその席で発表されたのは、五十嵐圭の加入だ。まだ契約合意の段階だが、メディカルチェック終了後に正式契約となる。

新潟県上越市の出身、元日本代表のポイントガードは、詰め掛けたファンから大きな拍手で迎え入れられた。五十嵐が最初に口にしたのは、地元のプロチームに対して抱えていた思いだった。

「皆さんこんばんは。本日、新潟アルビレックスBBと契約し、チームの一員となりました。僕は新潟県上越市の出身です。高校時代から新潟を離れてバスケのキャリアを歩み、プロへの道へと進んで現在に至りますが、2000年のチーム創設時から、当時のヘッドコーチであった廣瀬(昌也)さんを始めとするチーム関係者の方々からお誘いをいただき、ずっと頭の片隅に、オレンジのユニフォームを着る姿がありました」

「その思いが決定的となったのは2004年、日立サンロッカーズでプレーしていた時のことです。新潟ブースターの皆さんから受けたブーイングが、自分の中でとても印象に残っています。アルビレックスの選手をうらやましいと思いましたし、その歓声を味方に付けてプレーする自分を想像すると鳥肌が立つ思いでした。今思えばあの時から、いつか自分がオレンジのユニフォームを着てプレーするのを夢見ていたように思います」

会見に同席した球団社長の小菅学は、五十嵐を迎え入れられた心境を「一つの夢がかなった」と表現した。「これからBリーグに向けてしっかりチームを作る。そこには世界を経験したポイントガードが必要だということで、シーズンが終わってすぐに五十嵐君のところに行きました。2006年の世界選手権やスーパーリーグ、NBLの経験があり、その経験がチームに必要だということで獲得に動きました」

移籍の決め手となったのは、新潟アルビレックスBBの熱意だった。「自分が前所属チームを退団した後、一番最初に声を掛けてくれたのがアルビレックスBBでした。自分を一番必要としてくれるチームへ行って、新たに始まるBリーグでのスタートを切りたいと思っていたので」と、五十嵐は決断に至った理由を説明した。

球団社長の小菅学は、五十嵐を迎え入れられた心境を「一つの夢がかなった」と表現した。 

自分のスピードはこのリーグで一番という自信を持っています

新潟アルビレックスBBは伝統的に『走り勝つバスケ』をやるチームだ。そのことは五十嵐も認識しており、「自分自身のストロングポイントは、今まで新潟アルビレックスBBがやってきた『走るバスケ』にマッチしていると思います」と、自身のプレーとチームの融合については明確なイメージをすでに持っている様子。

「この年齢になってベテランと言われますが、自分のスピードはこのリーグの中で一番だという自信を持っています。ヘッドコーチの求めるバスケットを、ポイントガードである自分がしっかり理解した上で、そこから『走るバスケ』、自分のストロングポイントである速さをチームとして出せるようにしたいです」

Bリーグ初年度のスタートを前に、「勢力図」は不透明。どのチームにも優勝の可能性はある一方で、特にbjリーグに所属していたクラブには、「全く歯が立たないのではないか」という不安もあるはずだ。五十嵐もBリーグでの戦いが厳しいものになることを十分に認識しており、「優勝という大きな目標はありますが、そんなに甘いものではないことも感じています。まずはプレーオフ出場を目標にします」と語る。

もっとも、巷でよく話題となる『NBLとbjリーグの格差』については、「NBLから日本代表選手が多く選ばれているという事実はありますが、そこまで大きな差があるとは思っていません」と、気にしていない様子だ。

「昨シーズンのプレシーズンマッチで新潟アルビレックスBBと対戦した時も、良い選手が揃っていると感じましたし、その選手たちはNBLでも問題なくやっていけると感じていたので、大きな差とはとらえていません。仮に差があったとしても、それを埋めるのが僕の役割だと思っています」

そんな不安よりも、地元に戻ってプレーすること、初めてプロチームに所属すること、そして新たなBリーグに挑戦することを楽しみにしている。そんな気持ちが五十嵐の表情と言葉からはうかがえた。

「個人としてはプロ選手として活動してきましたが、プロチームに所属するのは初めてです。プロチームで地域でできることはたくさんあると思うので、そこで自分が先頭に立ってやっていきたい。地域の皆さんにもっともっと応援してもらえるような、そんなチームになっていく。それを自分が引っ張っていけるような活動もやっていきたい」

地元チームへの加入が決まった五十嵐は、公開記者会見に訪れた多くのファンの前で自分の思いを語った。 

得点に関しては2桁以上取りたい、アシストもできれば2桁

ブースターも参加できる公開記者会見とあって、質疑応答ではファンの男の子が五十嵐に「目標は何ですか」と質問する場面も。微笑ましい光景ではあったが、五十嵐は表情こそ温和ながらも、至って真面目にこう答えている。「ベテランとしてポイントガードとしてチームを引っ張っていくこと。得点に関しては2桁以上取りたい、アシストもできれば2桁。得点とアシストには自分の中でもこだわりを持ってプレーしていきたい」

彼の強い決意は、こんな言葉からもうかがえる。「当時、日本初のプロバスケチームであった新潟アルビレックスBBは、日本バスケ界を救える救世主だと思っています。朱鷺メッセの熱狂が後にbjリーグへと発展し、この秋に始まるBリーグの序章になったのは疑う余地もありません。その新潟の、プロバスケのパイオニアとしての意地を今一度取り返し、いまだ実現できずにいる優勝を勝ち取ることこそが、ベテランとなった自分の故郷への恩返しだと思っています」

さらに五十嵐はこんな言葉まで口にした。「新潟を自分のキャリアの集大成と考え、この地でユニフォームを脱ぐ覚悟で、今日ここに立たせていただいております」

新潟に戻って来た彼がこだわるのは『プロ』の二文字だ。「ここに来たからには、日本初のプロバスケットボールチームのプライドというものを守っていかないといけない」と彼は言う。そして詰め掛けたブースターに向かって五十嵐はこう呼び掛けた。「新潟の皆さん、ここまでアルビレックスを支えてきたアルビブースターの皆さん、そして新たにホームタウンとしてチームを迎えてくださった長岡の皆さん。一緒にもう一度、朱鷺メッセの時のような、あの新潟のバスケットボールを、皆さんと一緒に作っていきたいと思います」

五十嵐は言う。「勝敗が一番大切ですが、その中でも見に来てくれたファンの方に楽しんでもらえたり、もう一度見に来たいと思ってもらえるようなプレーを頑張ってやっていきたいです」

これからオレンジの7番のユニフォームを着た五十嵐は、新潟アルビレックスBBの象徴的な存在として、コート上では若い選手たちを引っ張り、コート外ではプロのもう一つの役割として、これまでバスケに興味がなかった人たちの足をアリーナに向けさせる活動をしていくだろう。

「僕は『バスケを知らない人に、バスケを知ってほしい』というモチベーションでプロ選手になりました」と五十嵐は言う。「自分自身にできることはまだまだあります。まだ日本ではバスケットボールはメジャーではないので、会場に足を運んでもらえるよう、今までやってきた選手、フロントやスタッフと相談しながら活動していきたいと思います」

『走り勝つバスケ』だけでなく、プロ意識の面でも五十嵐とこのチームは相性が良さそうだ。そう考えると、「夢がかなった」という小菅社長の言葉も理解できる。衰えを知らぬポイントガード、求心力を持つリーダーの五十嵐圭が引っ張る新潟アルビレックスBBは、新たに始まるBリーグで大暴れしてくれそうだ。