取材=古後登志夫 構成=鈴木健一郎 写真=古後登志夫、野口岳彦

Bリーグのファイナルが終わった直後に日本代表に合流し、東アジア選手権を戦った永吉佑也は、ようやく手にした短い休暇を使って宮崎県でクリニックに参加していた。永吉は鹿児島の出身だが、高校は宮崎の延岡学園に進み、2年生の時にインターハイ優勝という結果を残している。青山学院を経て2014年に入団した東芝でプレーしていたが、このオフに移籍を決意。京都ハンナリーズを新天地に選んだ。

「葛藤があった」という永吉だが、それはもう過去の話。決断を下した今は、すっきりとした気持ちでオフを楽しみ、来るべき次の戦いに向けて気持ちを整えている。そんな永吉に、移籍に際しての葛藤と決断の理由、そして今後のキャリアで目指すべきことについて語ってもらった。

プロってどういうことかを一生懸命説いてくれた

──早速ですが、ファンが一番知りたいところを最初に聞きたいと思います。移籍を決めた理由を教えてください。

プレータイムですね。川崎ではマドゥ(ジュフ磨々道)が引退するので、自分がもっと必要にされるだろうという考えはありました。ですが、京都はもっと勝負どころで使いたいし、オン・ザ・コート「2」の時間帯でも出したいという話だったので。

もちろん、葛藤はありましたよ。ファンの方たちのことを考えるし、自分が東芝の社員だったということもありました。会社員を経験させてもらったことで、僕の人間性とかも変わったと思います。そういう人たちのもとを離れることに、すごく葛藤はありました。

──悩んでいて、「やっぱり今のままでいいや」と現状維持を選択するのは簡単だと思います。ですが、今回は新しい道に進むことを決めました。決め手になったのは何ですか?

京都の麻生(卓志/アシスタントGM)さんが声をかけてくれて、いろんな話をしました。もともと僕は東芝に入社してずっと東芝でサラリーマンをやろうと思っていて、プロになる気がなかったんですよ。その僕に、プロってどういうことかを一生懸命説いてくれたのが麻生さんでした。それにすごく魅力を感じたというのが移籍の決め手です。

──チームが変わることで、意識も変わる部分もありますね。

そうですね。これからはすべて自分でやる環境になります。その環境でまた自分を高められると期待しています。僕はこれまで、鹿児島レブナイズのスキルコーチの方とか、あるいは(青木)康平さんとか、いろんな人から何か一つでも得たいと積極的に指導をお願いしてきました。こうして宮崎でも、いろんな人と会っていろんなことを盗みたいと思っています。プロとしてはまだ1年目で、知らないこともたくさんあります。自分を作るのは自分だと思ってやっています。

やっぱりバスケットがうまくなりたいです。バスケットでいっぱい稼いで良い生活をしたいとまでは思いませんが、いっぱい稼ぎたいという気持ちも正直あります。ただ、プロになった一番のきっかけを挙げるとしたら東京オリンピックです。絶対に出たいんです。

僕は小さい時から「日本代表」と口にしてきました。10歳の時に鹿児島で「半成人式」というイベントがあって、そこで「10年後の自分へ手紙を書く」というのをやったんですけど、10歳の僕は「日本代表を目指して大学で頑張っているよね」と20歳の僕に書いているんです。それぐらい日本代表というものにはこだわりを持っています。それは今後も変わらないはずです。それがプロになったきっかけです。

チームからは「2桁は取ってほしい」と言われています

──日本代表でプレータイムを確保しようととなると、どうしても竹内公輔選手や竹内譲次選手、太田敦也選手という壁を超える必要があります。

やっぱりサイズ感はまず言えますよね。実際に足りてないですし。でもルカ(パヴィチェヴィッチ)から言われたのは、「お前はサイズがないんだから、もっと機動力を生かせ」ということと「スキル面でもっとチームバスケットに徹する選手になれ」ということです。「そうしたらコーチは絶対お前を使うぞ」とも言われました。

「自分でゲームメークするように」というアドバイスももらっています。だからピック&ロールをする時でも、ボールをキャッチしたら自分でゲームメークするという考え方。例えばシュートもキックアウトも、もう一回展開することも含め自分で判断して、『ガード的センター』という立ち位置になるというか。あの3人を含め誰よりもそういうところをやらないとダメだと思っています。

──将来図が描けているのは分かりました。では現状で彼ら3人に勝っている部分は?

なんだろう、難しいですね。強いて言うなら若さじゃないですか。

──ハードワークをするイメージはあります。

それは自分では言いづらい部分なので、そう言ってもらえて良かったです(笑)。ベンチから出てハードワークすることで流れを変えられる選手でありたいとはずっと思ってきました。ハードワーク、泥臭さ、そしてゲームメイクの部分。全部ですね、成長させなきゃいけないのは。

──竹内兄弟と太田選手に比べるとシュートレンジが広くて精度も高いのが武器になるかと思います。ゴリゴリのインサイドプレーヤーではなく、得点とリバウンドでダブル・ダブルを狙える『ストレッチ4』を目指すというのはどうでしょう?

それも一つの生き方だとは思います。ただ川崎にはニック(ファジーカス)がいて、アウトサイドがうまくてパスもできる選手ですから。僕がスクリーナーになってニックがアウトサイドに出てストレッチ4、みたいな形が多くて、そうなると僕はインサイドをやることになっていました。

それでも、僕はこの1年でピック&ロールに磨きをかけたつもりなので、今後はピック&ポップの部分でダイブじゃなく精度を高めていければと思います。ニックが割と外でプレーすることが多かったので、僕はなるべくダイブするのがチームの方針でした。僕だけでなく(ライアン)スパングラーやマドゥもそういうタイプでした。京都でもあくまでチームの方針に従いますが、そういう外のプレーにも挑戦したいですね。

──逆に言うと、ファジーカスのいない京都では得点を求められることになります。

その通りです。チームからは「2桁は取ってほしい」と言われています。僕も思い切って打っていこうかと。昨シーズンはシューティングも一生懸命やってきました。これまではあまりシュートを打つタイプじゃないので、身体を鍛えるほうに力を入れていたんですけど、この1年はシューティングも頑張りました。練習の前後にアシスタントコーチの(勝又)穣次さんや通訳のマサ(大島頼昌)さんに付き合ってもらって。その努力が実ったシーンも何回があったので、その回数をもっと増やしていけば、アウトサイドも打てる選手だと理解してもらえると思います。

縁もゆかりもない京都なので、温かく迎え入れてほしい

──京都に行ったらチョンマゲはどうしますか?

それなんですよ。噂に聞くところでは、見た目から紳士じゃないといけないということで。マゲとヒゲのハッピーセットをどうしようかなと思っています。試合の前日に髪の横と後ろをきれいにして、ヒゲを整えるというのがルーティーンだったので。マゲは一切さわらず、シーズン中は伸ばし続けているんですけど。

──マゲを結うと気合いが入りますか? 川崎の感謝祭では結っていなかったので、もうマゲはやらないのかと思いました。

そんなことないです。試合とか本気モードにならないといけない時、がっつり結うことで気合いを入れているんですよ。フワフワするのが嫌なので。ファンの方にも好評だったので続けていました。これからもやりたいと思いますが、チームの方針があるなら当然それに従います。もしダメってなったらまずは話し合いを(笑)。

──マゲをどうするかは置いといて、京都の新たなファンに向けてメッセージをお願いします。

まず京都は僕にとって縁もゆかりもない土地で、友達もいません。なので温かく迎え入れていただきたいと思います。決して人見知りではないので、是非いろんな人と話ができればうれしいです。プレーの面では今年で26歳で、まだ若いと思っているので、皆さんと一緒に勢いに乗っていきたいと思います。