[引退インタビュー]日下光(京都ハンナリーズ)Bリーグで終わりを迎えたチャレンジのバスケット人生、第二章の始まり

2017/05/25
Bリーグ&国内
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文=古後登志夫 構成=鈴木健一郎 写真=京都ハンナリーズ

京都ハンナリーズの日下光は、今シーズン限りでの現役引退を発表した。1982年生まれの34歳の日下は、日大を出て創設間もない仙台89ERSに入団、bjリーグ1年目からプレーを続けてきた。その後、東日本大震災でチームの活動停止によりレンタル移籍したことで縁が生まれた京都ハンナリーズでBリーグ開幕を迎え、今シーズンの最後になって現役引退を決断した。

今シーズンは平均プレータイム4.8分。決して多くの出番を得たわけではないが、新たなリーグを戦うチームを最年長選手として冷静に眺めてきた。そんな日下に、最初のシーズンを終えようとしているBリーグについて、そして12年のプロキャリアについて語ってもらった。

引退の理由は「そろそろ次のステップに行く時期」

──現役引退を決めるまでには葛藤があったと思います。引退を決めた理由は何ですか?

多くの人は、オファーがなくなって引退を決めると思いますが、僕はそれが嫌で、自分の決断で次のステップに行きたいと思っていました。今シーズンが始まる前から引退のことは頭にありましたが、決めたのはチャンピオンシップに行けなくなった週、最後に三河と対戦する前です。引退するタイミングはずっと考えていたんですが、理由はあまりないんですよね。「そろそろ次のステップに行く時期」と感じたから、本当にそうなんです。もちろん、ずっとプレーヤーを続けられたらいいんですけど、そういうわけにもいかないので。

bjリーグができる前は指導者になりたいと考えていました。学校の先生になって、部活の顧問になるイメージです。今も、カテゴリーがどうなるかは別にして、指導者になりたいと思っています。仙台から新潟の高校に進んだのも、バスケットで挑戦したかったからです。またそんな形で今度は指導者としてバスケットでのチャレンジをしていきたいです。

──bjリーグでプロになったのも、そのチャレンジ精神の延長線上ですか?

そうですね。学校の先生になるつもりでしたが、bjのトライアウトがあることを知って、プレーヤーとしてどこまで行けるかチャレンジしました。地元でプロ生活をスタートさせられる選手は一握りなので、そこはすごく感謝しています。震災もあって良いことばかりではありませんでしたが、苦しい時もみんなで協力して地元でやれたのは、僕にとってはすごく大きいです。

うれしい試合よりも悔しい試合のほうが記憶に残る

──12年間のプロ生活の中で一番思い出に残っている試合は?

仙台での3年目、東地区1位を決めた新潟戦がすごく印象に残っています。相手のマット・ギャリソンの3ポイントシュートが外れて僕たちが勝った試合です。その前の2シーズン目が全く勝てなくて、プレーオフに出場を逃していたんです。それで今年こそはという思いで3シーズン目に臨んで。プレーオフでは勝てなかったんですけど、目標だった東地区1位を取れた試合はすごく印象に残っています。

──では、一番悔しかった試合はどれでしょう?

たくさんありますが、去年のbj最後の年に有明のファイナルで勝てなかった、ボロ負けした試合は忘れられないです。なんであそこまで噛み合わないんだろうというくらい。本気で勝つために準備してきたのに、何も良いところがなく終わってしまった2試合は、今思い出しても悔しい。うれしい試合よりも悔しい試合のほうが僕は記憶に残っているので、それが一つのモチベーションになっていたのかもしれません。

──影響を受けた人を一人だけ挙げるとしたら?

仙台の2シーズン目から7シーズン目までを一緒に戦った秋田の高橋憲一さんをすごく尊敬しています。特に外国籍選手とのコミュニケーションを積極的に取りに行く部分で尊敬していました。2人でリーダーシップを取ってやっていたのは良い思い出です。プレーの面でももちろん良い選手で、良いところでしっかり決めてくれるのでパスの出し甲斐があります。僕と憲一さんは阿吽の呼吸みたいなのが仙台時代あって、やっていて楽しかったですね。

シーズン中に他のチームの選手とはあまり連絡を取らないんですが、憲一さんとはたまに近況報告したり、頑張っていこうと励まし合ったりしていて、引退のことも少しは相談しました。でも、決めたのはシーズンが終わる1週間前だし、決断したのは自分です。

応援してくれた皆さんとはまたどこかでお会いできる

──指導者としての挑戦は、教員なのかプロのコーチなのか、イメージはありますか?

プロのコーチに興味があります。誰しもがなれるものではないし、そのチャンスは他の人より少なからずあると思います。これまでの経験を生かすという意味でも興味があります。前にいたデイビッド・パルマーとは「スペーシングがやっぱり大事だよね」といつも話していました。スペーシングが良くて相手が守りづらいチームを作りたいです。京都に来てからはデイビッドに勉強させられることばかりで、僕がシューティングパートナーだったんですが、練習前からがっつりシューティングするんです。そこに影響を受けました。練習であれだけやっているから、発言力もある。あれだけの選手がこれだけ練習するからこそ、みんなが話を聞くんだと思いました。

プロというのは、当たり前のことを一生懸命にやるんです。子供たちに教えるように基礎練習をしっかりやる。プロならどんな練習でも一生懸命やるのが当たり前という気持ちはあります。

──応援してくれたファンへのメッセージをお願いします。

僕はバスケットのおかげで多くの人に出会えました。その出会いを作ってくれたバスケットボールに感謝したいです。僕のプレーは全然派手じゃなかったのですが、プロで12年間プレーできて、いろんな人に応援してもらったことにすごく感謝しています。これで選手生活は終わりますが、これからの人生はまだ本当に長いので、今後も温かく見守っていただけたらなと思います。

──今度は指導者としてプロの現場に戻って来ると公言しますか?

まだ今は何をやるのか本当に分からないので公言はできないです。それでも、バスケットに携わっていくことは絶対に間違いないので、応援してくれた皆さんとはまたどこかでお会いできると思っています。12年間、本当にありがとうございました。

[引退インタビュー]日下光(京都ハンナリーズ)
bjリーグで始まったチャレンジのバスケット人生、第一章の終わり
Bリーグで終わりを迎えたチャレンジのバスケット人生、第二章の始まり