文=古後登志夫 構成=鈴木健一郎 写真=京都ハンナリーズ

京都ハンナリーズの日下光は、今シーズン限りでの現役引退を発表した。1982年生まれの34歳の日下は、日大を出て創設間もない仙台89ERSに入団、bjリーグ1年目からプレーを続けてきた。その後、東日本大震災でチームの活動停止によりレンタル移籍したことで縁が生まれた京都ハンナリーズでBリーグ開幕を迎え、今シーズンの最後になって現役引退を決断した。

今シーズンは平均プレータイム4.8分。決して多くの出番を得たわけではないが、新たなリーグを戦うチームを最年長選手として冷静に眺めてきた。そんな日下に、最初のシーズンを終えようとしているBリーグについて、そして12年のプロキャリアについて語ってもらった。

『チームで戦う』だけでは強いチームに勝てない

──まずは京都の話から聞かせてください。Bリーグ1年目はどんなシーズンでしたか?

浮き沈みの激しいシーズンでした。A東京や栃木に勝つ力があったのに、下位チームに負けることも多かったです。bjリーグの時代から「実力ではNBLが上」と言われてきて、今回Bリーグで一緒になったんですが、力の差はそこまでないと思います。それでもチャンピオンシップの4強はすべて旧NBLのチームで、こういう結果が出ている以上はもっと頑張らなければいけない。

京都はこの1年、チームで戦うことを強調してやってきました。ただ、強いチームにはそれだけでは勝てないという思いが僕にはあります。シュートの精度を上げる、小さなミスを減らす、あとはディフェンスですね。ディフェンスのフィジカル面だったり、ヘルプの寄りだったり。そういう部分でチャンピオンシップで上位進出をするチームはすべてレベルが高いです。Bリーグで勝つにはディフェンスを、個人の部分もチームの部分も向上させる必要があります。

もちろん、京都もディフェンスを頑張ろうとしてきました。それでも三河には8戦全敗で、しかも大量失点で負けています。スカウティングして臨んでも、それでもやられてしまう。そこは個々の選手の修正能力も必要でしょうね。西地区だとやはり三河には苦手意識があったかもしれません。旧NBLという意識はなかったんですが、結果から見ても三河にはやられましたから。

ただ、京都はスーパースターのいないチームですが、噛み合った時には強みが出ます。ディフェンスからリズムをつかんでファストブレイクを出す展開ですね。その良い部分を40分間の中でいかに出していくかが今後の課題です。

「やはり代表選手」と感じた、三河の金丸と比江島

──西地区では三河の一強体制でした。三河の強さはどこにありましたか?

ビッグマンのリバウンドだったり、日本人アウトサイドにも好き放題やられた印象です。チームとしても強いのですが、個の能力が印象に残っています。金丸(晃輔)くんか比江島(慎)くんのどちらかが必ず爆発する。僕たちが手を抜いているわけではなく、むしろ警戒しているのですが、勝負どころでどんどん点を取られる。あの2人はやはり代表選手なんだな、良い選手なんだな、と思いました。

シュートを打ち続けるメンタルが他の選手とは違います。ミスをすることもありますが、ノーマークになったら躊躇せず打ってくる。オフェンスの技術もあるし、ディフェンスのレベルも高いのですが、やはり他の選手との違いはメンタルの部分にあると思います。他にメンタルがすごいと感じたのは田臥(勇太)さんですね。勝ちたい意欲、メンタルというより闘志ですね。すべての選手が見習わなければいけない部分です。

──最年長としてチームのまとめ役を担ったと思います。京都はどんなチームでしたか?

今シーズンから入った岡田(優介)がリーダーシップを取って、内海(慎吾)や籔内(幸樹)だったり、その年代が特に率先してチームを引っ張ってくれました。キャプテンは(佐藤)託矢だったし、僕から何か言うことはあまりなくて。試合に出ていた4人が引っ張って、僕は一歩引いて、日本人選手とも外国籍選手ともコミュニケーションを取るようにしていました。

プレータイムは短くても「見ている人は見ている」

──今シーズンは、なかなかプレータイムを得られない1年でもありました。

そうですね、悔しい部分はありました。でも、最年長の僕が腐ってしまえばこのチームは終わると思っていました。若手にも良い選手がいるので、小島(元基)とかに積極的に声をかけていました。チームのことはベテランが考えて、若手は思い切ってやればいいと僕は思っているので、若手が考えすぎてプレーが消極的になるようなことがないよう、そこは考えていました。

また、外国籍選手がチームに溶け込めるかどうかは大事なポイントなので、彼らと話す機会も多かったです。特にプレー以外のことですね。別の国の知らない土地に来ているので、そこを楽にさせてあげたいとは思っていました。バスケットボール選手であっても、バスケ以外の時間のほうが長いので、ご飯に誘ったりリラックスしながらいろんな話をしました。バスケだけじゃ窮屈になってきますから。

──思うようにプレーできない時期もあれば、勝てない時期もありました。モチベーションを保つのが難しいシーズンだったのでは?

プロであれば自分を強調するものですが、僕はちょっと珍しいというか、昔からチームを最優先する考えなので。試合に出れないのは悔しいですが、自分が出て活躍してもチームが負ければ悔しいし、試合に出なくてもチームが勝てば本気でうれしい。そういう気持ちの持ちようが、ヘッドコーチと同じだったので、(浜口)炎さんとのコミュニケーションは取れていました。もちろん、他の選手ともそうです。悔しさを一人で抱え込むのではなく、勝つためにみんなでいろんな話をしてきたので、それがモチベーションになっていました。

出場機会がないかもしれないし、プレータイムをもらえても数秒かもしれない。でも、見ている人は見ているんです。出ている時間は短くても、ブースターの方にハイタッチする際に「見ているよ」と声をかけてもらったり、そういう部分で刺激をもらうことができました。

──浮き沈みの激しいシーズンの中で、最も厳しかったのはどの時期ですか?

チームとして一番のピンチは序盤に5連敗した時ですね。出れない選手がストレスを溜めていたり、チームとしてあまり良くない雰囲気だったので、いてもたってもいられなくなって自分からミーティングしようと声をかけて、翌日の大阪戦に勝って持ち直したことがありました。「思っていることを簡単でいいから話そうよ」という形で、それぞれ一言二言しゃべって、「明日も試合があるから頑張ろう」と。自分たちがどこに向かっていくのか、その確認です。

僕たちが向かうべきところというのはチャンピオンシップ出場でした。その目標は達成できなかったんですけど、チームとしてそこはブレずにやってきました。浮き沈みはありながらも高い位置で安定させることが、来シーズンの京都の目標ですね。

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